九カ国条約とは?条約参加国や日本が返還した権益についても
九カ国条約とは
九カ国条約(きゅうかこくじょうやく)とは西暦1922年(大正11年)に結ばれた中華民国に関する問題を取り扱った条約です。この条約はその前年1921年から米国の提唱で開催されていた国際会議、ワシントン会議の中で参加国によって協議され調印されることとなりました。九カ国条約というのはこの条約の通称であり、正式名ではありません。正式名は当時の官報によると「支那(しな)に関する九国条約」です。この条約では中華民国の独立や主権、領土を尊重することや中華民国が安定した政権を確立することが出来るようこの条約に調印した各国は協力すること、中華民国領域内の商工業に関して条約に調印した各国は門戸開放、機会均等の方針を維持すること、条約調印国は中華民国で関係各国の権利を侵害するような特別な権利を得るために、中華民国国内の権力闘争(条文では情勢と表現されていますが)を利用しないなど、細かくは他にもありますが大まかには以上のような内容が記されています。門戸開放、機会均等というのはすべての国に同じように商業、工業に関わる機会が与えられるようにすることを意味します。どこかの国だけ商工業を行い、他の国は締め出すということは駄目ですよ、ということです。ここでの機会均等は中華民国の経済活動に関して他国は経済活動に関わる機会を平等に与えられる、という意味になるかと思います。
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条約参加国は
この九カ国条約に調印した時点での参加国はこの条約の名前通り九カ国でした。まず中華民国。中華民国の主権や領土を尊重することを目的にした条約ですから、この条約に参加しています。他の八カ国は五十音順にアメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、日本、フランス、ベルギー、ポルトガルです。なぜこの八カ国が九カ国条約に参加したかというとこの八カ国は中華民国の領土内に利権を持っていたからです。当時イギリスや日本、フランスは中華民国に租借地を持っていました。イギリスは香港や山東半島の先端にあるかつて威海衛(いかいえい)と呼ばれていた地域を租借していました。フランスは中華民国の南、現在の広東省にある広州湾を租借していました。日本は朝鮮半島に隣接する半島、遼東半島の一部を租借していました。ポルトガルは中華民国の南にあるマカオの統治権を持っていました。アメリカ、イタリア、オランダ、ベルギーは中華民国領土内に外国人居住区である租界(そかい)を持っていました。このような権益を中華民国内に持っている各国が条約に調印しています。その後スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、ボリビア、メキシコもこの条約に参加することとなったそうです。
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日本が中華民国に返還した権益
この九カ国条約で返還することが明記されているわけではありませんが、この条約がきっかけとなって日本は山東省の権益を中華民国側に返還しました。これは山東懸案解決に関する条約という別の条約が結ばれることで返還が成立しています。ドイツ帝国が清国から租借しそれ以降中華民国になってからもドイツの租借が続いていた山東半島の膠州湾(こうしゅうわん)という地域を第一次世界大戦で日本とイギリスの連合軍がドイツ帝国の軍に勝利し日本が占領します。そして日本はこの地域の権益を獲得することを主張しました。第一次世界大戦での連合国とドイツの間の講和条約、ヴェルサイユ条約ではこの日本が占領した地域の権益を日本が獲得することが認められていました。この膠州湾といった地域を返還するのと、膠州湾の都市、青島と山東省の中心地、済南を結ぶ鉄道、山東鉄道も返還することとなりました。ただ山東半島に日本が関連する権益が一切無くなったかというとそういうわけではなかったようです。日本が中華民国に融資して作った鉄道は中華民国に譲渡されなかったようですし、その鉄道の近くにある鉱山は日本と中華民国の合弁会社が経営することになったそうです。
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今回は九カ国条約を取りあげてみました。ワシントン会議の中で成立した複数の条約の中でも有名な条約の一つですし、この条約が成立したことでかつてアメリカと日本の間で成立していた合意、石井=ランシング協定が廃棄されることとなったのです(石井=ランシング協定ではアメリカが中華民国における日本の特殊権益を認めるということで日本側と合意していました)から日本にとっては重要な出来事だったと言えます。日本はこの後中国大陸内で活動することによって九カ国条約違反だと他国から批判されるようになっていったそうです。そういった今後の出来事にも関わる条約ですし調べてみようと思いました。日本は中華民国に存在した権益の一部をこの条約締結をきっかけにして返還していますし、イギリスも威海衛を返還することを表明したのだそうです。ただ、どの国も中華民国に持っているすべての権益を中華民国に返還したわけではありませんでした。この時点で日本も遼東半島の租借地や満州鉄道を中華民国に返還したわけではありません。ただ、遼東半島や満州鉄道といった権益は満州民族の地域のものであって中華民国に返還する筋合いのものではないんですよという議論もあったようですね。明らかに中華民国の領土でしょう、と思われるような広州湾がフランスから中国大陸を支配する国に返還されるのは第二次世界大戦が終了してからです。香港、マカオが返還されるのは1990年代です。この条約でうたっているのは中華民国の領土や主権を保全するという、文面は理想的な内容ですが、実態はこのように理想とかけ離れていました。この条約は第一次世界大戦の時に中華民国で勢力を拡大した日本をアメリカやイギリスが抑え込むために作った建前という指摘が一部にはあるようです。日本の権益は確かに減っていますし、そういう側面はあるのかもしれません。理想を謳っておいて、実はある特定の勢力をけん制、抑え込むための口実だった、なんていうのは陰険な感じがしますが、これが国際社会の実態ということなのかもしれませんし、過去のものとも限らない気がしました。いわゆる大国が理想を語る場合、裏に何かあるのかもしれないと思っておいたほうがいいのかもしれません。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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