国鉄の民営化はいつおこなわれたのでしょう

国鉄はいつから民営化したでしょう

 

国鉄、日本国有鉄道(にほんこくゆうてつどう)は以前日本全国のかなりの割合の鉄道を運用していた組織です。日本政府が出資(お金や財産を提供すること)していました。様々な事情があってこの国鉄は日本政府の方針で民営化されることになります。いつだったのかと言いますと、西暦1987年(昭和62年)4月1日からです。この日から国鉄は複数の民間会社に分割された状態となって運営されるようになりました。その後現在に至るまで分割民営化された後の民間会社が旧国鉄に関係する事業の一部を引き継いでいます。民営化の時に国鉄は6つの旅客輸送をおこなう会社と1つの貨物の輸送を担当する会社、合計7社に分割されています。旅客輸送をおこなう会社は地域別に6分割されました。この民営化が実現した1987年4月に政権を担当していたのは中曽根康弘(なかそねやすひろ)というかたが首相を務めていた中曽根内閣です。

 

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いつ民営化の話が出てきたのでしょう

 

この国鉄を民営化するという話はいつ出てきて1987年に実現したのでしょう。1981年に日本政府は国民からの増税をおこなわないで日本の財政状態を改善させる(日本政府の借金を減らす)ことを目的に専門家に参加し議論をしてもらって、良い意見を出してもらう機関、諮問機関(しもんきかん)を作りました。この時作られたのが「第二次臨時行政調査会」という名前の諮問機関です。この諮問機関が議論した結果、1982年7月30日にこの諮問機関が国鉄を分割民営化するべきです、と表明します。専門家の立場からそのような意見を出され、政府としてもその専門家の人たちの意見を重く受け止め、同じ年、1982年の9月24日に分割民営化を実施していくと内閣の会議で決定しています。この諮問機関を立ち上げたり、国鉄の民営化の話を進めますと内閣の会議で決定している政権は鈴木善幸(すずきぜんこう)というかたが首相を務めていた鈴木内閣でした。民営化された年の5年前の話になります。

 

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民営化の意見はなぜ出たのでしょう

 

1982年の専門家の人たちの議論で国鉄の民営化の話が持ち上がったのはなぜなのでしょう。国鉄の経営状態が良くない状態が続き、日本政府から国鉄に出さなければならない補助金の額がどんどん増加していってしまい、政府にとって負担となっていたためです。1970年に政府が出していた補助金の額は約122億円だったそうですが、それが諮問機関の立ち上げられた年、1981年になると約7334億円にも膨らんでいます。60倍くらいです・・・。1960年代の後半以降、国鉄の経営で発生する赤字額が年々増加していたためこのように補助金の額を増やさざるを得なかったようです。国鉄を維持し続けると今後も赤字が出続け、さらに巨額の補助金を出し続けなければならなくなることが予想されました。政府の負担を減らすためにも国がこれまでのように補助金を出すような国鉄の仕組みではなく、国鉄を民間会社にして、きちんと利益を出して自分たちで運営できるような組織に変えなければならないと諮問機関の専門家は判断し民営化を提案しました。

 

なぜ国鉄は赤字になったのでしょう

 

国鉄が運営されていた時代、あまり利用客が見込めないにもかかわらず、地方に路線を作ってその路線を維持するような事例が珍しくなかったようです。また国鉄の職員の数が多く、その職員の方々に支払う人件費は国鉄の経営を圧迫していたとも言われているようです。また高度経済成長の時代が1960年代の中ごろから始まりますが、この時代から自動車を所有する国民が増え、高速道路もどんどん作られていき、人が移動する際にこれまでのようには国鉄の路線が利用されなくなっていったという背景もあるようです。飛行機もどんどん利用される時代になっていきますし。国鉄を利用する国民が減っていったことは赤字に繋がる大きな理由となりました。

 

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今回は国鉄の民営化について一部取りあげました。1980年代後半に起きた有名な出来事を見ていたところ、この国鉄民営化は特に大きな出来事として取りあげられていることが多く、最近も民営化された会社の一部が赤字になって苦しんでいる話題を割と聞くような気がしていました。どうして民営化する運びとなったのか調べてみたく記事にしてみた次第です。車の普及や航空機路線の発達といった時代の流れや、政治家の人たちの地元への利益誘導による儲からない路線の建設と維持といった話が大きく経営を圧迫する要因になったという指摘は調べている中で多く目にしました。地方で生活する人たちに利便性を提供するというのはとても大切なことだとは思いますけれど、お金がかからないかどうか、赤字にならないかどうかという点を度外視しているといつか今回の記事で書いたように赤字額が膨れ上がってツケがまわってくるということになってしまうもののようです。事業を長く続けていくためにも採算の合わない事業拡張というのは慎重にならなければならないのでしょうね。新しい新幹線やリニアモーターカーが国鉄の失敗を教訓として生かせるといいのですが。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

戦後の鉄道に関する別の話題の記事「東海道新幹線が建設された理由は何だったのでしょう」はこちらです。

国が民間の鉄道を買い取った出来事に触れている話「第1次西園寺内閣の時に出来た鉄道国有法とは?作られた理由も」はこちらです。

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