平安時代に浄土教が流行した理由は何だったのでしょう

浄土教が流行した理由

平安時代の歴史に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では平安時代に浄土教なる教えが日本の世の中で広まった、流行した理由について私なりに書いてみたいと思います。ここで出てくる浄土教というのは宗教で言えば仏教に分類されるものであり、それまでに誕生している宗教に出てくるような神様や仏様とは全く異なる存在をあがめるような新しい宗教というわけではありません。現世で死んだ後に極楽浄土という素晴らしい世界に行って、そこで悟りを開き仏となることを浄土教が流行した当時のたくさんの日本の人々は望んだと言われています。日本で浄土教が流行した時期というのは西暦900年代以降、10世紀以降でした。その時代、日本で浄土教が流行した理由というのは何だったのでしょう。極楽浄土に行ける条件がそれまでの教えに比べて緩くなるような、当時の人々にとってありがたい教えだったから、ろくでもない時代がやってくるとたくさんの人々が信じていたから、一般の人々にも積極的に浄土教のお教えを説くお坊さんたちがいたからなどといったことが理由としてよく指摘されています。

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極楽浄土に行きたいけれど

現世で人生を終えて、つまり死んだ後に極楽浄土という素晴らしい世界に行きたいけれど、その極楽浄土という世界は実は簡単に行ける世界とは見なされていませんでした。人々は現世での行いに応じて様々な世界に否応なく生まれかわらざるを得ないものだと仏教では説かれていました。輪廻転生(りんねてんせい)というそうですが、その生まれ変わる先の世界というのがいろいろありまして、良い世界では天道なんていう世界もあるそうですがひどいものには地獄道、地獄ってことですよね、そんな世界に生まれ変わることもあるよと仏教では説明されていたようです。天道と地獄道の間にも様々な世界があると仏教では言われています。そういったいろいろな世界がある中でひときわ素晴らしい世界、極楽浄土に死んだあと行くというのはすごく難しいこととされていたようです。しかしそこで阿弥陀仏(あみだぶつ)という仏様にお願いしお力をいただくことによって本来は別の世界に生まれ変わらざるを得ない者であっても救われる、つまり極楽浄土に行って悟りを開き仏になることが出来るという浄土教の教えが人々に希望を与えることとなりました。阿弥陀仏さまのおかげで自分も行くのがすごく難しいと言われる極楽浄土に行けるかもしれないというわけです。阿弥陀仏の力を得たい人々は熱心に念仏(南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ)を唱え阿弥陀仏さまに救ってもらうことをお願いしました。

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ひどい世の中になると思われていたから

お釈迦様が亡くなってから一定期間が経過すると(1500年とか2000年とか)仏教の教えが廃れたひどい世の中になると言われていました。どの時期にそのようなひどい世の中になるのかについては国によって見方が異なっていたようですけれど日本では永承(えいしょう)七年、西暦1052年からひどい世の中になると多くの人が考えていたようです。こういった考え方は末法思想(まっぽうしそう)と言われています。その時期が近付くにつれて死んだ後に希望を見出そうとする人々が増えていくこととなりました。死んだ後に極楽浄土に行けるという希望を与えてくれる浄土教がそういった人々の気持ちを掴み、信仰する人々を増やすことになったようです。

積極的に教えを説く人々がいました

この浄土教の教えを説く有名なお坊さんに空也(くうや)というかたがおられたことは歴史の教科書にも名前が出てくるくらい有名なようですが、この方に限らず一般の人々に浄土教を説くお坊さんがおられたそうで、そういった方々の地域をまわって布教するような精力的な活動によってそれまでは身分の高い人達などが触れる機会の多かった仏教の教えは普通の人々の間でも広まることになったと言われています。

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今回は浄土教が流行した理由について一部取りあげました。個人的には浄土と聞くと浄土宗という仏教宗派のことが頭に浮かぶのですが、そのような宗派が確立される以前の日本の世の中で浄土教と歴史的には呼ばれる教えが広まったという箇所を歴史の教科書で見かけ、どういった教えなのかということと、どうして平安時代に流行したのかという理由を確認したくこのようなテーマの記事を作ってみることにしました。死んだあと恐ろしい世界に生まれ変わってしまうかもしれないという恐怖に人々がおびえていたのだとしたら阿弥陀仏さまが助けてくれるという教えは心の負担をすごく軽くしてくれたのだろうなと現代を生きる私から見ても何となくわかるような気もします。今の時代に比べると生まれ変わりの考え方などがはるかに真剣に信じられていたのでしょうから相当切実な話だったのではないでしょうか。おまけに末法の時代がやってくるという恐れが加われば人々は救いを求めるようにもなりますよね。11世紀に発生した天災や疫病、武士による戦乱といった出来事は末法の世の表れと受け止める人々も多かったようです。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

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