バブル崩壊の前、日銀の公定歩合はどうなっていたのでしょう

バブル崩壊前の日銀の公定歩合

日本の現代史に関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに平成二年、西暦1990年以降に資産価格が大きく値下がりすることとなった、いわゆるバブル崩壊が発生する以前の日銀、日本銀行の公定歩合がどのような状態であったのか書いてみたいと思います。資産価格と言っても抽象的すぎるでしょうか。株価や土地の価格といったものが当てはまると考えていただければいいかと思います。平成二年には日本の株式市場で様々な銘柄の株の価格が下落することとなりましたし、平成三年、西暦1991年からは地価、土地の値段も下落していきました。そのような経済的現象が起きたわけですが、そのような現象が起きる以前に日本で金融政策をおこなう日銀はどういった公定歩合にしていたのでしょう。日本銀行が提供している資料によりますと、昭和六十一年、西暦1986年の11月から3%となっており、昭和六十二年、西暦1987年の2月中に2.5%となって、0.5%だけ下げられています。その後は1年以上この値(2.5%)で据え置かれました。株式市場の様々な銘柄の株価が下落する平成二年、西暦1990年の前年、平成元年、西暦1989年に日本銀行は頻繁に公定歩合の数値を変更しています。それまで2.5%だったものを平成元年5月に3.25%、同年10月に3.75%、同年12月に4.25%とどんどん数値を高くしていきました。いわゆるバブル崩壊が発生する以前、日銀は短期間に公定歩合を引き上げていたようです。

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引き上げの理由

平成元年、西暦1989年の時点で株式市場の様々な銘柄の価格も国内の土地の価格もとても上昇していました。この平成元年の公定歩合の引き上げには二人の日本銀行総裁が関わっています。一人は5月と10月に公定歩合を引き上げた澄田智(すみたさとし)さん、もう一人は12月に引き上げた三重野康(みえのやすし)さんです。三重野さんはこの公定歩合の引き上げについて1980年代の日本の経済の「行き過ぎ」を「整理」し、長い目で見て日本経済が安定して発展する基礎を作り直すといった内容の発言をされています。またインフレなき持続的成長といった表現も使用されていたようです。株価や土地の価格の高騰が一般の品物の物価を上昇させることに繋がってしまうので、一般の品物の物価が上昇する、つまりインフレになるのを避けるために公定歩合を引き上げるという三重野さんの考えを示しています。つまり公定歩合を引き上げて株価や土地の価格の上昇を抑えて一般の品物の物価の上昇、インフレを防ぐということですから、少なくとも三重野さんは公定歩合の引き上げによって株価、土地価格などの資産価格を抑えようとした、下げようとしたということになります。おそらく澄田さんも同様の考えによって公定歩合を引き上げたものと思われますが公定歩合引き上げ時の会見なり表明した内容を見つけることが出来なかったのであくまでも推測です。

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公定歩合

公定歩合(こうていぶあい)というのはお金を発行する機能を持っている機関、中央銀行がお金を一般の人々が利用する普通の銀行に貸す時に借りる側である普通の銀行に求める金利のことです。平成十八年、西暦2006年からは公定歩合という呼び方を日本の中央銀行である日本銀行は「基準割引率および基準貸付利率」に変更しています。そのため報道機関のニュースなどで公定歩合という言葉が用いられることも無くなりました。日本銀行が公定歩合を下げますと、普通の銀行も一般の人々に貸し出すお金の金利を下げていたため、世の中の人々が銀行からお金を借りやすくなり世の中に出回るお金の量は増加しました。それにより景気がよくなったり物価を上昇させる方向にはたらきます。反対に日本銀行が公定歩合を上げますと、普通の銀行もそれに連動して一般の人々にお金を貸しだす時の金利を引き上げていました。普通の銀行が金利を引き上げたら銀行からお金を借りる人々が銀行に支払う利子は増えることになります。利子の返済が大変になるのならお金は借りられないと考える人が増えますから銀行からお金を借りる人は減ることになって、結果的に世の中に出回るお金の量は公定歩合を引き上げる前に比べて減少することになります。そうなると世の中の消費も減り景気もそれまでに比べ悪くなり物価の上昇も抑えられる傾向になるものなのだそうです。公定歩合を引き下げることが金融緩和の、公定歩合を引き上げることが金融引き締めの作用を持っていました。

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今回はバブル崩壊前の日本銀行の政策について一部取りあげました。歴史の教科書を見ていて平成二年以降株価などの資産価格が下落してバブルが崩壊したといった感じの内容がありました。事態の説明として、どうも淡泊すぎる印象があり、どういった経緯で資産価格下落という現象に繋がったのか知りたくなり今回のようなテーマの記事を作ってみることにしました。株価下落要因が日銀の政策だけかどうかなど私に分かるわけもありませんが一定の影響はあったのだろうと感じました。バブル崩壊によって日本社会がどのような事になったか私はあまりよくわかっていないので、当時の日銀の政策が不適切だったのか何とも言えませんが、多くの方々が経済的な苦境に立たされて、ひどい目に遭ったとしたのなら日銀の政策は失敗だったということになりますよね。バブルが膨らみすぎる前に、つまり株価や土地価格などの資産価格が上昇し過ぎるようなことになる以前に1989年の時のような急激な利上げではなく緩やかな利上げをおこなって経済が大きく変化しないように配慮することは出来なかったものなのかなぁなどと感じました。そんな簡単な話ではないのでしょうかね。いずれにしても1989年の立て続けの公定歩合引き上げは株価下落にとても関係しているように思いました。当たり前だろうと言われてしまうでしょうが、中央銀行による政策には十分な注意が必要ですね。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

参考文献:黒田 晃生 (2012).日本銀行の金融政策(1984年~1994年):バブルの発生と崩壊 政經論叢,80,1-40.

今回の記事ではエンリケさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

日銀による平成以降の他の金融政策について触れている話「日本が量的緩和政策を実施したのはいつからだったのでしょう」はこちらです。

平成以降の日銀の金融政策について触れている他の話「日本でゼロ金利政策を開始したのはいつからだったのでしょう」はこちらです。

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