日中共同声明と日中平和友好条約の違いは何なのでしょう?

日中共同声明と日中平和友好条約の違い

第二次世界大戦後の歴史について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに日本が中華人民共和国と取り交わした日中共同声明と日中平和友好条約の違いについて書いてみたいと思います。日中共同声明も日中平和友好条約も西暦1970年代に成立しています。ただ、同時に取り交わしたものではなく先に日中共同声明が署名されました。昭和四十七年、西暦1972年9月の話です。一方日中平和友好条約は昭和五十三年、西暦1978年8月に調印されています。ということで成立した時期が異なっています。また署名した人物も共同声明と平和友好条約で違っています。共同声明の時は日本側の署名者が当時内閣総理大臣だった田中角栄(たなかかくえい)さんと当時外務大臣だった大平正芳(おおひらまさよし)さんでした。平和友好条約の時は当時外務大臣であった園田直(そのだすなお)さんが署名者でした。中国側は共同声明時が当時国務院総理という立場だった周恩来(しゅうおんらい)さんと当時外交部長だった姫鵬飛(きほうひ)さんが署名して、平和友好条約の時には当時外交部長だった黄華(こうか)さんが署名しました。共同声明と平和友好条約の内容に関する違いですが、戦闘状態の終結、国交の締結、唯一の合法的政権であるとの承認、賠償の取り扱い、有効期間の設定などといった点で違いがあるようです。

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戦闘状態の終結、国交を結ぶ

日中共同声明では日本と中華人民共和国の間での「戦争状態の終結という願望」とか不正常な状態を終了するといった内容が盛り込まれています。日本が昭和二十年、西暦1945年以前に戦っていた相手は中国大陸の場合、中華民国蒋介石政権の勢力だったはずであり、しかも第二次上海事変以降の戦闘は当時の日本側からすると、中華民国の一部勢力である蒋介石政権との間での戦闘であって主権国家同士、国同士の戦争ですらなかったと受け止められていたものでした。日本が蒋介石勢力と戦っていた途中で蒋介石政権の勢力に共産党勢力が合流した経緯はありましたが、その時中華人民共和国など存在していません。ポツダム宣言受諾などでこういった解釈も吹き飛んでしまったということなんでしょうか。中華人民共和国との間で日本が宣戦布告し合ったり戦争したということではなかったはずなので日中共同声明に戦争状態の終結などと記載されているのは正確ではないように思われますが、実際にそう書かれています。戦争状態を終わらせ日本と中華人民共和国の間で国交を結ぶことが日中共同声明で約束されることとなりました。こういったいがみ合っている状態の終焉と国交を結ぶといった節目となる記載は日中共同声明だけで見られるものであり、日中平和友好条約では国交を結ぶとか戦争状態を終結させるといった内容が盛り込まれてはいません。良好な関係を発展させるといった内容の文言は盛り込まれています。

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賠償の取り扱い

かつての国際社会では戦争を締めくくるにあたって勝った側が負けた側に賠償を要求したりすることが普通におこなわれていましたが、それに関する取り決めは日中共同宣言内でも見られます。中華人民共和国は日本との友好のために戦争賠償の請求を放棄するといった内容が盛り込まれました。この賠償に関する言及は日中共同宣言だけで見られるものであって日中平和友好条約内では触れられていません。

唯一の合法的な政権

日中平和友好条約の中で言及していない話として、日中共同声明では中華人民共和国の政府が中国でただ一つの合法的な政府であることを日本政府が承認するといった内容が盛り込まれています。これは中華人民共和国が台湾に存在する中華民国蒋介石政権を念頭に置いて日本側に自分たちが唯一の正しい政権だと認めるよう要求して盛り込まれたものということなのでしょう。日本側が中華人民共和国が唯一の合法的政権だと認めたことで、日本は台湾に存在している中華民国蒋介石政権を中国の合法的政権と位置付けて関係することが出来なくなってしまいました。蒋介石政権側は日本との国家間の関係をこの日中共同声明成立をきっかけに断つこととなります。その後民間での交流という形で国同士の様な関係が維持されることとなりました。

有効な期間の設定

日中共同声明ではいつまでこの声明が有効だといった期間の区切りは付けられていません。一方日中平和友好条約では両国が条約を承認し条約が有効となった時点から10年間有効といった期限が明記され、それ以降はどちらかの国が条約を無効としたいといった予告をおこなってから一年後まで条約が有効という規則も盛り込まれました。こういった経緯から条約が有効となってとっくに10年以上経過している現在においても日中平和友好条約は効力がある状態です。

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今回は日中共同声明と日中平和友好条約の違いについて一部取りあげました。現在から振り返ると似たような時期に成立した取り決めのように感じるわけですが、どんな違いがあるのかについて関心を持たれる方もおられるようです。この二つの取り決めの間での違いについては個人的にあまり考えたことがありませんでしたし、今回の記事を作る以前はよく知りませんでした。確認の意味で今回このようなテーマの記事を作成してみたわけですが、名前からして日中平和友好条約のほうが平和条約を連想させる名称ですが実は戦争状態の終結や国交の締結、賠償に関する言及といった通常の平和条約、講和条約で取り扱われる内容が日中共同声明に盛り込まれていたということであり、この点は間違えやすい所なのかもしれません。中華人民共和国との友好が進展した一方で台湾を拠点とする蒋介石政権が統治する中華民国との国交が日中共同声明によって断たれたという点は残念な話のように感じます。その他で気になった点に日中平和友好条約に期限が設けられていることがありました。これまで全然知りませんでした。こういった類の条約には有効期限がつきものということなんでしょうかね。日中平和友好条約に期限が設けられている事を知って、個人的に日ソ中立条約のことを思い出しました。あの場合はソ連が有効期限内に日本に侵攻したり日本が有効期限内にソ連に侵攻することを想定して満州地域で大規模軍事演習をしたわけですが、現在平和友好条約を結んでいる日中の二カ国が戦前の日ソ間のようなことにならなければいいですね。少なくとも日本が過去のソ連のように有効期限内に侵攻するようなことをして裏切り者、卑怯者などというそしりを国際的に受けないようにしたいものです。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではakizouさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

中国のとっている方針について触れている話「台湾の立場に大きく関わってくる『一つの中国』の意味と問題点とは」はこちらです。

日ソ中立条約について触れている話「ソ連が連合国側として参戦した理由は何だったのでしょう」はこちらです。

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