美濃部達吉がとなえた天皇機関説とは?天皇主権説についても
天皇機関説とは
天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法、いわゆる明治憲法に関して美濃部達吉さんという憲法を研究されている学者さんが1912年(明治45年)に書いた本の中で主張した一つの解釈です。
この憲法解釈では、日本の場合、国の領域(領土、領海など)や国民を治める権利(これを統治権「とうちけん」というそうです。)というものは大日本帝国という国家そのものにあり、天皇という立場はその国家の意思を決定したり代表する存在、「機関(きかん)」だと捉えています。
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このような国を治める権利は国家にあり、君主は国家の代表機関だという考えは1800年代のドイツで主張されるようになった考え方のようです。この考え方を美濃部さんは取り入れました。このドイツで唱えられた考えはドイツの君主である皇帝の権限が強められることに反対するため出てきたものなのだそうです。
美濃部さんがこの憲法に関する解釈、考えを主張したのは、天皇のような君主に絶対的な制限のない権限、非常に強い権限が存在するという君主の権限に制限をはめない考え方に疑問を感じ、議会、内閣を通して君主の権限を一定の範囲内に制限することが出来るし、そのように君主の権限には一定の制限があったほうが良いというように考えたからだと思われます。ただ国家の意思を決定したり代表する存在の「機関」ではあると言っているので、この解釈によると国に関する最終的な決定権は君主に存在するということになります。
君主には大変強い権限はあるけれど、絶対的、無制限なものではないよということを言いたかったということではないでしょうか。
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天皇主権説とは
一方大日本帝国憲法に関する別の解釈も主張されました。天皇主権説(てんのうしゅけんせつ)というものです。穂積八束 (ほづみやつか)さんや上杉慎吉(うえすぎしんきち)さんという憲法を研究している学者がこの説を主張していたことで有名なようです。
この解釈では国の領域(領土、領海など)や国民を治める権利である統治権は君主である天皇が持っていると考えます。もちろん国の最高意思を決める権限も天皇が持っていると考えます。そして国民の考えを代弁する議会や行政を実際に運営する内閣の意向に天皇は左右されるものではない、影響されないと考えます。
上杉さんは「天皇が国家である」「天皇は絶対であり無限」「現人神(人間の姿をしている神)」だという立場に立っていた学者さんだそうです。そのため君主である天皇という立場の権限に天皇機関説が主張するような制限をはめることを否定しました。
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今回は天皇機関説について取りあげてみました。天皇機関説というのは昭和の時代、軍部の発言力がすごく強かった時期に出ていた言葉だったように思っていましたが、この機関説が主張されたのは明治末期だったんですね。思ったより早い時期でした。
今回これを取りあげたのは先日取りあげた2個師団増設問題が発生した時期と大体同じころだったということもありますし、後に(昭和に入ってから)この憲法解釈が大変攻撃され問題になるという出来事が起きることになるのでここでどのような考えか確認しておきたかったからという理由もあります。
美濃部さんはこの憲法解釈に立って天皇は内閣の輔弼(天皇の権限を行使するにあたって助言すること)が必要だとする立場だったようですし、国民を代弁する議会の立場を重視していたようですね。政治に国民の意見が反映する可能性を感じる主張だったわけですから、当時の国民に注目されたのもわかるような気がします。
一方上杉さんの訴える天皇主権説は「現人神」や「天皇は絶対であり無限」と言った価値観を支える解釈のようです。第二次世界大戦当時の日本を考えると国民全体が信じていたかどうかはわかりませんが、社会全体がこのような価値観で満ちていたと歴史で教わったような気がします。結局どちらの解釈が後に主導権を得るようになったかは明らかですね。上杉さんの解釈は軍部で発言力のある人たちから支持されていったようです。
昭和天皇は天皇機関説を支持する立場だったという指摘をこの記事を作る過程で目にしました。昭和天皇のそのような姿勢は日米開戦についてどう関わってくることになるのでしょうか。だいぶ先になるのかもしれませんが出来れば今後記事で取りあげてみたいと思います。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
統治権限関連記事「国体明徴声明とは?その内容や天皇機関説事件についても」はこちらです。
明治憲法関連記事「大日本帝国憲法によって定められた天皇大権とは?」はこちらです。
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