故事成語「国士無双」の読み方や意味、由来について
「国士無双」の読み方
故事成語「国士無双」は「こくしむそう」と読みます。この言葉は非常に有名ですし、読める人も多いかもしれません。国士無双ではなく、無双(むそう)という表現だけでも時々使われる気がしますし。
「国士無双」の意味
「国士無双」は「その国の中で特に優れた人たちの中でも、同じくらいの人がいないほど大変優れた人物」という意味だそうです。二人といない素晴らしい人物、代わりとなる者がいない程の素晴らしい人物ということですから、相当評価されている人物ですね。
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由来について
国士無双が故事成語となる由来の話は中国の古典、史記(しき)にあります。史記の淮陰侯列伝(わいいんこうれつでん)という部分で出てくる話です。
書き下し文を私なりの言葉で現在の表現にしたものを以下に示します。誤った所があるかと思いますがご了承ください。
大昔の中国に漢という国がありました。漢の王様、劉邦(りゅうほう)という人は韓信(かんしん)という人を治粟都尉(ちぞくとい)という役職に取り立て、韓信さんはつつしんでそれを受けました。しかし王様は韓信さんのことをそれ程すぐれた人物であるとはまだ思っていませんでした。韓信さんはたびたび蕭何(しょうか)さんという王様の家臣と面談し、蕭何さんは韓信さんをすぐれた人物と判断しました。
漢は中国大陸の内陸部にある南鄭という地域に進軍しました。その時点で漢の軍から逃亡する将軍が数十人出ました。韓信さんのことを蕭何さんたちがたびたび王様に用いるよう推薦しましたが、韓信さんは王様が自分のことを用いようとしないだろうと判断し逃亡してしまいました。
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蕭何さんは韓信さんが逃亡したことを聞いて王様に報告することが出来ず、韓信さんを引き留めるため追いかけました。この動向を王様に報告した者が「丞相(じょうしょう)の蕭何が逃亡しました。」と言いました。王様は自分の両手が無くなったくらい非常に怒りました。
一日か二日経過し蕭何さんが王様のもとに戻ってきました。王様は腹立たしい思いをしながらも蕭何さんが戻ってきたことを喜びつつ、蕭何さんに「蕭何、お前は何故逃亡したのか。」と罵り(ののしり)ました。蕭何さんは「私めは決して逃亡したのではございません。私は逃亡していったものを追ったのであります。」
王さまは「お前が追いかけた者は誰なのか。」と言いました。蕭何さんは「韓信です」と答えました。王様は蕭何さんに対し「わが軍の将軍たちが10人以上も逃亡したというのにお前はその逃亡した将軍たちを追いかけはしなかった。それなのに韓信を追いかけたというのは嘘であろう。」と罵りました。
すると蕭何さんは「将軍たちが逃亡しても代わりの人材を充てることはたやすいものと考えます。しかし韓信のような人物の場合は大変優れた人物で同じような人物はおりません。王様、王様が長期間漢中において王であろうとするだけであれば、韓信という人材を用いる必要はないでしょう。しかし諸国と戦い覇権を握ろうとするのであれば韓信を除いて一緒に大事業を成すことの出来る人物はおりません。王様のお考えを伺い、どのようにするかを決めましょう。」と言いました。
王さまは「余は東方に勢力を拡大したいと考えている。どうしてこの地域に長期間くすぶっていることが出来るだろうか。」と言いました。それに対し蕭何さんは「王様のお考えが我が勢力の東方への拡大だというのであれば、韓信がお役にたつことが出来ます。そういうことであれば韓信も我が軍にとどまることでしょう。お役にたつことが出来なければ韓信の命運もそこまでということです。」
王さまは「余はお前の進言を聞き入れ韓信を将軍として取り立てよう。」と言いました。しかし蕭何さんは「王様が韓信を将軍に取り立てられたとしても、韓信は我らのもとにとどまろうとはしないでしょう。」すると王さまは「ならば韓信を大将の位に任じよう。」と言いました。それに対し蕭何さんは「お聞き入れくださり誠にありがとうございます。」と言いました。
このことで王様は韓信を連れて来させ韓信と面会したがりました。すると蕭何さんは「王様は元々の人柄が尊大で礼儀をわきまえられておりません。今王様は大将と面会しようとしているというのに、まるで幼い子供を呼び寄せるかのような有様です。そのようなことですから韓信も逃亡することとなりました。王様、ぜひ韓信に面会したいということでしたら、縁起の良い日を選び、身を清めて戒めを破るようなことをせず、除災招福の為の祭壇を設けて礼儀をもって応対するならばそれも叶うことでしょう。」と言いました。王様はそのような対応をすることを許可しました。
漢の軍に所属する将軍たちはそれぞれ自分が大将になるのだと思い喜んでいましたが、大将の位に就いたのが韓信だと知り皆驚きました。
以上のような内容が史記に掲載されている話です。
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今回は「国士無双」について取りあげてみました。この故事成語を取りあげたのも由来となった話が興味深かったためです。韓信という人は蕭何さんから大変評価されていましたが、今回抜粋してきた話の中では特に活躍らしい活躍をしてはいません。漢の軍から逃亡しただけです。しかし蕭何さんは漢という国が中国大陸を支配する強国となるために韓信さんが役に立つ人材だとこの話の中で見定めていました。
その後韓信さんは蕭何さんが判断した通り、漢の周辺の領地を獲得し国を拡大することに貢献していくことなります。王様よりも蕭何さんのほうに人を見る目があったということになりますね。ただ活躍する前の韓信さんはまじめに働くようなわけではなく色々なところで居候になっていたそうですから、そのような人が非常に高い位についたとき大活躍するなどということは気付くのがそもそも無理な話かもしれません。大体任務のある立場であるのに逃亡してしまうような人を二人といない優れた人物とは普通思いませんよね。
それなのにすごい人物だと見極めることの出来る蕭何さんが、すごい人なのかなという気がします。そのような人を側近に出来たことが漢の王様が覇権を握ることが出来た理由なのでしょうから、智慧のある人を集めるのは指導者にとって本当に重要なことなのでしょう。
智慧のある人というのはどういった人の下で働きたがるものなのでしょう。それなりに能力のある人、器の大きい人、優れた人格者、素晴らしい理想を掲げた人、自分を高く評価してくれる人・・・、そんな感じの人の下に集まるのかなぁなどと思いましたが、そんな一概に言えることではないでしょうかね。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
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