竹島が韓国によって実質的に占領されたのはいつなのでしょう
韓国による竹島の実質的占領はいつからだったのでしょう
韓国の勢力が竹島に上陸し、日本側がそれ以降上陸しなくなった、上陸出来なくなった状態を韓国による竹島の実質的な占領と考えますと、それが始まったのは西暦1954年(昭和29年)だったようです。日本の海上保安庁が竹島に上陸できたのは1954年の5月が最後のようでそれ以降は島に近付こうとすると韓国側から銃撃されてしまい上陸が困難となっているようです。それまでは日本の海上保安庁が島に上陸して日本の領土を示すことになる住所が記された目印を島に設置することが出来ていました。島に韓国側の集団が常にいる状態ではなかったからです。しかし韓国側の集団も時折島に上陸して日本の海上保安庁が設置した目印を取り外し、反対に韓国側の領土であることを示す目印を設置したりしていました。1953年は双方ともそのような行為をしており、一方が全く近づけない状態ではありませんでした。
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1954年の途中から日本の海上保安庁は島に上陸できなくなり、韓国は島に警備組織を駐在させるようになります。それ以降竹島は韓国が占拠、実質的に占領した状態が続いてしまっているようです。ここで占領と占拠の意味を確認してみます。「占領せんりょう」というのは他の国の領土を武力によって自分たちの国の支配下に置くことを意味するそうです。「占拠せんきょ」というのは特定の地域を自分のものにして居すわることを意味するそうです。今回扱っている韓国が竹島を自国領として、自国の集団を駐在させている行為については占拠という表現が使われることが多いです。日本と韓国の軍隊が交戦して日本が敗れ、その結果竹島を韓国が支配するというような事実はありませんから占領という表現が使われないのかもしれません。ただ、韓国側は日本の海上保安庁の船に対し銃撃をおこなって日本側が近付けないようにしたこともあり、武力行使が全く無かったわけではありません。そのような状況ですので実質的な「占領」状態と見ることも出来るのかなと感じ、この表現をこの記事の中で時々使用しています。
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現在竹島に駐在している韓国の組織は
現在竹島には韓国側の関係者が駐在しており生活を送っています。「駐留ちゅうりゅう」という表現を使おうと思いましたが、駐留というのは軍隊組織がとどまる時に使う言葉なのだそうです。竹島に現在とどまっているのは韓国軍ではなく警察官の身分の集団、警備隊です。しかし警備隊とはなっているものの武装している内容は軍隊の装備のようなもののようです。一般の警察官のイメージですと拳銃や警棒を携帯する程度、場合によっては狙撃のためにライフルを使う、突撃用に自動小銃を使うということもあるのかもしれませんが、せいぜいそれくらいですよね。ただ竹島の警備隊は航空機を砲撃するような装備もあるようですのでただの警察組織には見えません。韓国側が竹島に韓国軍を駐留させないのは日本の自衛隊が関与しにくくするためだという指摘があるようです。日本の自衛隊は他国の軍隊から武力行使を受けるという前提が無いと基本的には攻撃しないことになっているようで、竹島に韓国が軍隊を駐留させると自衛隊が動く口実を日本に与えてしまうので韓国は韓国軍を置かずに警備隊にしているという、そういった見方です。他にも日韓両国の間に二国間の紛争はまず外交交渉によって解決を図り、それが難しければ調停によって解決をしましょうといった約束が存在しているからなどといった指摘もあるようです。1965年に両国の間で締結されている約束のようですが、日韓紛争解決交換公文という名称の文書を両国間でやり取りしており、その文書の中に先ほどのような内容が記されています。そういった約束をしている中、韓国側としても武力行使の象徴となるような軍隊組織を竹島に駐留させづらい。なので警備隊を配置している、といった見方です。
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今回は韓国側の竹島への関与について一部取りあげました。日本側が島に上陸することが困難となった時期が最近記事として扱っている歴史的な出来事が起きた頃と近かったこともありこのような記事を作ってみました。韓国の政治指導者が一方的に竹島を含む領域(「李承晩ライン」などと呼ばれる特定の海域のことです)を韓国の主権下にあると宣言するような出来事が1952年の1月にあり、韓国側の竹島領有の主張がどんどん強硬になっていきます。1952年はまだ朝鮮戦争が停戦となっていない時期です(朝鮮戦争が停戦されたのは1953年7月です)。韓国も朝鮮民主主義人民共和国や中国の共産党勢力と戦争中だというのにアメリカの占領下にある日本と関係が悪化するような行為をわざわざこのようなタイミングで何故してくるのでしょうね。本来そんなことをしている暇など無いと思いますが。戦争している時期ですから、普通敵を増やしたいなどと思いませんよね。妙な話です。当時の韓国にとって朝鮮戦争はそれ程切羽詰まったものではなかったのでしょうかね。今回扱った出来事を調べていると、日本国憲法の前文にある様な「諸国民の公正や信義」というものは感じられないなぁと思ってしまいます。自国の主権を守るためにはきれいごとばかり言っていられないようなこともある、ということを今回の出来事は示しているように感じました。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
海の名前で対立している話「韓国が日本海を東海と主張する問題とは?海外の反応は?」はこちらです。
日本の領土を他国が自国領だと主張している他の話「尖閣諸島の歴史や国有化、尖閣諸島に関する中国の主張について」はこちらです。
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