平和条約と共同宣言の違いは何なのでしょう

平和条約と共同宣言の違いは何なのでしょう

 

平和条約は講和条約(こうわじょうやく)とも呼ばれることも多いのですが、戦争をおこなった国々の間で結ばれる、戦争を終わらせるための約束といったことで特に間違えは無いのだろう、とそのような印象を個人的には持っていましたし、そのような理解の方は多いのではないかと勝手に想像していました。ただ日本は戦争状態を終了させるために他の国と約束する時に平和条約ではなく共同宣言(きょうどうせんげん)という方法を使った場合もありました。国同士の戦争を終わらせるための約束の仕方として少なくともこの平和条約(講和条約)と共同宣言という二つのやり方があることになりますが、この二つの方法にどういった違いがあるのでしょう。平和条約の場合、普通は兼ね備えている合意項目があるようなのですけれど、共同宣言の場合は合意項目が少なくても当事国が了承するなら成立する約束のようです。

 

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平和条約(講和条約)で合意されているのが普通である項目

 

平和条約の場合はどのような内容を当事国間で決めている場合が多いのでしょう。当事国間での戦争を正式に終えること、当事国間での平和を回復することを定めることになりますし、戦争を終えた後、戦争をしていた国同士がどのような関係になるか定めます。具体的には国交を回復するといったことになります。他には関係国の領土を明確にします。これについてはA国の一部領土をB国に譲り渡し以後B国の領土にするといったような領土のやり取りも含まれてきます。また、賠償金に関する内容を決定することにもなりますし、お互いの国が抱える相手国の兵員、捕虜をどうするかについても決めることになります。戦争終結、平和回復、外交関係、領土、賠償、捕虜など、少なくとも今述べたような項目については関係国が了承し平和条約の中で決まったことを明記するもののようです。日本に関して言うと、結んでいる平和条約には第二次世界大戦後に日本国がアメリカなど48か国と結んだサンフランシスコ講和条約があります。

 

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共同宣言

 

共同宣言というのは国家の政策を世の中に発表するという意思表示という性格の場合もありますが、国同士がある内容について合意をするという場合も含まれます。共同宣言といっても意味合いがこのように異なってくるので共同宣言をおこなった関係国を法的に拘束する、関係国が合意事項を守らなければならない場合もありますし、法的拘束力がない場合もあります。平和条約の場合は当然関係国が条約によって法的に拘束される、約束を守らなければならないということになります。日本の場合、かつて存在していた国、ソビエト社会主義共和国連邦との間で結んだ日ソ共同宣言というものがあります。日ソ共同宣言もサンフランシスコ講和条約と同様、関係国が第二次世界大戦に分類される戦争状態を終結させることを目的として結ばれた法的拘束力のある取り決めです。ただ日本とソ連との間では平和条約を結ぶにあたって当然当事者間で合意されるべき、領土に関する内容を解決することができず日ソ講和条約(日ソ平和条約)の成立を見送り、共同宣言という形で戦争状態の終結と国交回復に至りました。平和条約の場合は当然兼ね備えている項目というものがあり、共同宣言の場合は合意したことだけ約束することができる、平和条約ほど内容を満たしていない場合に使うことのできる手法ということになります。

 

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今回は平和条約と共同宣言について一部取りあげました。先日日本国とロシア連邦の首脳が会談した際にロシアの首脳から唐突に平和条約の締結を打診されたことがニュースで取りあげられていました。そのニュースを耳にして大抵の国々との間で日本国は講和条約を結んだのにソ連、その後に誕生した国ロシアとの間で平和条約が結ばれていないのはなぜなのか確認したく、記事にしようと思ったのですが、平和条約がどういったものなのかがよくわからなかったためこのようなテーマの記事を作った次第です。日露間の問題といえば領土問題が真っ先に挙がるでしょうし、平和条約を結ぶには領土について明確にする必要があるわけですから、領土問題が解決しない中で平和条約を結ぶというのは普通だと考えにくい話なのだということが今回のテーマを調べていて多少わかったような気がします。ロシアの首脳が領土問題で解決をみていない中、平和条約を結ぼうと提案してきたことについては真意がよくわかりません。しかし領土問題を日本側の意向に沿わない形で処理するための策なのだとしたら、日本は当然乗ることのできない提案でしょう。北方領土問題について現在解決の糸口を見出している、こうすると四島が返って来るよ、という方法を提示できる専門家っているのでしょうか。進展するような気配があまり感じられません。日本の望む択捉、国後、色丹、歯舞諸島の返還は一体どうすれば実現するのでしょう。このまま解決せず時ばかりが過ぎてしまうことになるのでしょうか。島を追われた日本国民の方々にとっては本当に厳しい現実です。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

他国との共同宣言が関係する出来事について触れている話「日本国の国連加盟が実現した理由は何だったのでしょう」はこちらです。

典型的な講和条約の一つについて触れている話「日露戦争での英米の動きとポーツマス条約の内容について」はこちらです。

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