満州事変後成長した日本の「新興財閥」とは?特徴についても

日本の新興財閥とは

 

日本の新興財閥(しんこうざいばつ)とは1930年代以降の日本で急速に成長した企業グループのことです。明治、大正時代に基盤を確立させた三井、三菱、住友といった旧来の財閥と呼ばれる企業集団とは異なるグループになります。ここで取りあげたように新興財閥と呼ばれることもありますが、新興コンツェルンといった呼ばれかたをされることもあります。財閥というのは社会にとって不可欠な様々な産業分野でそれぞれの業界の利益を寡占(かせん)するほど強い企業を傘下にしており、財閥の中枢は同族の人たちが制御する持株会社(もちかぶがいしゃ)となっています。この持株会社が傘下の様々な有力企業の株を大量に保有しそれぞれの会社の経営方針を決めることの出来る決定的な影響力を保持しています。寡占という言葉の意味ですが、ある業界の上位4社が業界全体の利益の40%を占める状態の場合、この上位4社のそれぞれの企業は業界の利益を寡占していると言います。

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このような定義に照らし合わせますと新興財閥と呼ばれる企業グループは必ずしも社会に不可欠な様々な分野で有力な企業を傘下に置いていたわけではありませんので財閥という呼び方はあまり正しくないのかもしれません。ただ同族の人たちが有力な企業を複数持ち株会社の傘下に置いている企業集団という意味で財閥という言葉を使っているのであれば問題にはならないのでしょう。コンツェルンというのは親会社が傘下の様々な企業の株を大量に保有し経営を支配するような形態をとる企業グループのことをいいます。個人的には新興コンツェルンのほうがしっくりくるような気がしました。代表的な新興財閥(新興コンツェルン)には日産(にっさん)コンツェルン、日窒(にっちつ)コンツェルン、理研(りけん)コンツェルン、森コンツェルン、日曹(にっそう)コンツェルン、中島(なかじま)コンツェルンといったものがありました。

 

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新興財閥の特徴とは

 

日本社会が世界恐慌、昭和恐慌で苦しんでいるさなかの1931年12月に犬養毅内閣が発足します。この内閣のもとでおこなわれた大蔵大臣高橋是清さんが指揮をとる経済政策によって日本は1932年以降景気が回復していきました。1933年には恐慌前のレベルにまで回復したのだそうです。このような景気回復、それ以降の好景気の過程で新興財閥は急成長しました。新興財閥は中心となる企業が重化学工業関連の会社であり幅広い産業分野に傘下の企業を持っていたわけではありません。また創業者は技術者であるケースも多いようです。軍部との関係を深め成長した側面もあるようで日本の国家予算のかなりの割合を占める軍事費の中から相当な額のお金が軍需物資生産を拡大させる目的で軍事関連産業(重化学工業分野)につぎこまれたようです。ただこのような新興財閥は独自の強固な基盤を持った金融機関を傘下に置いてはいませんでした。設備投資などに必要なお金を工面するために金融機関からの借金に頼るのではなく、株式や債券を発行し市場でその発行した株式や債券を投資家に購入してもらうという方法を選択する傾向が強かったようです。旧来の財閥系企業はそれぞれ経営基盤の強い銀行を持っていましたので大きな違いと言えるでしょう。また新興財閥は日本本土以外の日本の影響下にある地域、朝鮮や満州といった場所に進出して企業活動をする傾向にあったようです。このような企業動向には軍部の意向も関係しているのかもしれません。新興財閥の発展などもあって重化学工業分野の生産額が以前から日本の主力産業であった繊維業など軽工業の生産額を越えていくこととなります。

 

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今回は新興財閥について取りあげてみました。日本工業界の構造が変化したというのは注目すべきところなのでしょうし、象徴的な存在が新興財閥ということなのでしょうから調べてみようと思った次第です。当時の日本の軍事関連産業の発展促進という国策があったからこそ、このような産業(重化学工業)が急に発展したということなんでしょうね。1937年に短期間政権を担当した林銑十郎(はやしせんじゅうろう)内閣は軍財抱合(ぐんざいほうごう)というキャッチフレーズを掲げて軍部、財界両者の協調、協力を促進しようとしました。このような動きも新興財閥関連企業の経営にとっては追い風になったことでしょう。このような構図で利益を得ることが普通になると、新興財閥は軍事費が縮小されることを嫌がるでしょうね。軍事費がある程度の額になるような国際的に緊張した状態を関連企業が望むようになるのだとしたら平和を望む国民の利益と相反することもあるのかもしれません。かといって国内の軍事関連企業の力が弱いと自国で自前の軍事力をしっかり整えることが困難になる心配もあります。バランスをとるのって難しそうですね。話は変わりますが、新興財閥の具体名を取り扱っていて現在大変有名になっている自動車メーカーをすぐ連想しました。この時代に発展したおかげで現在の自動車製造という高度な技術を持つ企業につながっているんでしょうね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

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