上杉謙信さんが用いた旗印にはどんな意味があるのでしょう

上杉謙信さんの旗印の意味

 

戦国時代の大名が戦をおこなう時、自分たちの勢力を示すために旗を掲げていたのは時代劇などでも取り上げますので、そういった番組の中で見かけた方も多いかもしれません。先日取りあげた有力戦国大名、武田家の有名な旗は後の世に風林火山と略されるようになった「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」というものでした。戦いに強い軍勢のあり方が表現された、兵法書「孫子 そんし」から引用されている内容だったわけです。現在の長野県長野市の一部にあたる地域、川中島(かわなかじま)で武田軍と頻繁に戦をおこなったことで越後(えちご 現在の新潟県にあたる地域)の戦国大名、上杉謙信さんはとても有名ですが、謙信さんの場合も武田側と同様に独自の旗を使っていました。戦の時に謙信さんが使っていたのは「毘」の漢字一字を白地の布に大きく書いた旗でした。また「龍」の漢字一字を崩して白地の布に大きく書いた旗も使われることがあったと言われているそうです。また紺色の布に赤い日の丸が描かれた旗が使われてもいたようです。毘という漢字一字が大きく書かれた旗は毘沙門天(びしゃもんてん)を意味していたと言われており、龍の字を崩して書かれた旗は不動明王を意味しているという見方があるようです。意味とはズレる話になりますが、紺色の布に日の丸が描かれた図案の旗は朝廷からいただいたものなのだそうです(謙信さんの父親、長尾為景さんが朝廷からいただいたもの)。

 

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毘沙門天

 

毘沙門天というのはもともとインドの神話に出てくる存在、クベーラという神様が由来なのだそうですが、後に仏教に取り入れられることとなり、仏様の教えを守る神様として位置付けられるようになりました。多聞天(たもんてん)という別の名前もある神様なのだそうです。仏様の教えを守る四天王という4人(人?と形容すべきなのでしょうか)の神様がおられるそうで、そのお一人が多聞天なのだそうです。四天王の存在として扱われる場合は多聞天と呼ばれ、独立した神様として扱われる時には毘沙門天と呼ばれることが多いそうです。財をもたらしたり幸福をもたらしてくれる存在として人々から崇められてきた歴史があり、日本でおなじみの七福神に入る神様にもなっています。謙信さんは自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたり、家来に自分を毘沙門天と思うよう話したなどといわれているそうです。とにかく謙信さんは毘沙門天に対し非常に強い思い入れのあった方でした。先に述べたように財や福をもたらす毘沙門天という神様ですが、「戦の神様」とも見なされています。

 

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不動明王

 

不動明王(ふどうみょうおう)というのは仏様が人々を教えに導くために別の姿で現れた存在とも言われており、悪魔、敵を倒し仏教を修業する人々を守る存在と見なされてきたそうです。もともとはヒンズー教というインドの伝統宗教に出てくる神様だったのが仏教の中に取り入れられるようになりました。仏教の仏として有名な大日如来の使者だと仏教界では見なされているそうです。空海さんがこの不動明王という存在を日本に伝えたと言われており、国内でも不動明王に対する信仰が広がっていきました。不動明王を信仰する人々は、不動明王を信仰するとその人の心の中に不動明王が住み、その人を守ってご利益をもたらしてくださると信じていたそうです。不動明王を動物で表すと「竜」なのだそうで、謙信さんが使用した旗に龍を崩した字が書かれていることとつながってきます。

 

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今回は上杉謙信さんの使用していた旗の意味について一部取りあげました。先日は武田軍の旗を取りあげましたし、ライバルで有名な謙信さんについても毘沙門天のことは聞いたことがありましたが、毘沙門天という存在については特に詳しくもなかったため確認してみたく今回のようなテーマの記事にしてみました。謙信さんの使った旗というのは毘の旗に限らず、宗教的な意味合いを含むものだったようです。いくさという壮絶な出来事に臨む場合、人の能力をはるかに超える存在が自分たちの後ろ盾になっていると信じきることが出来た集団はそのような思い入れが乏しい集団に比べれば相当士気が高まるものなのかもしれませんし、それによって強い軍勢となるものなのかもしれません。自分は毘沙門天の生まれ変わりと謙信さんが信じていたというのは現在の価値観で見てみれば「妄想 もうそう」で片付けられてしまうのでしょうけれど、そのような信念が数多くの戦で勝利したことや自分の勢力をまとめ上げることが出来たことと無縁だと言いきることは出来ないような気もします。戦国大名のような過酷な状況で戦い続ける人々にとって神仏に対する信仰は自分を支えるための重要な要素だったということなのでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

謙信さんについて触れている他の話「上杉謙信さんが塩の売却を続けた理由は何だったのでしょう」はこちらです。

戦国大名、武田家の旗印について触れている話「『風林火山』の意味とは簡単に言うと何なのでしょう」はこちらです。

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