聖武天皇が指示した遷都はどういった順番だったのでしょう

聖武天皇がおこなった遷都の順番

奈良時代の一時期(神亀元年、西暦724年~天平勝宝元年、西暦749年)、天皇の座にあった聖武天皇。彼が指示した大仏の建立について先日記事にしました。聖武天皇がおこなった事業としてやはり有名なものと言えば東大寺の大仏ということになるかと思いますが、その他にも聖武天皇は規模の大きな事業を実施しています。その一つが都の移動、遷都(せんと)です。奈良時代の初めとされるのが和銅三年、西暦710年、平安時代の初めとされるのが延暦十三年、西暦794年ですが、710年は平城京に遷都された年ですし、794年は平安京に遷都された年です。遷都された年というのは時代の区切りにもなる場合があるわけです。都を移すというのはそれくらい大きな変化と言うことも出来るのですが聖武天皇は皇位にあった期間に4回も都を移動させるという判断をしました。その内容は平城京から恭仁京(くにきょう)に移動したのが一度目の遷都で、恭仁京から難波宮(なにわのみや)に移動したのが二度目の遷都、難波宮から紫香楽宮(しがらきのみや)に移動したのが三度目の遷都、そして紫香楽宮から平城京に移動したのが四度目の遷都ということになります。転々と移動しましたが結局はもとの都、平城京に戻ることとなりました。

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恭仁京へ

恭仁京に都を移したのは天平十二年、西暦740年だったといわれています。恭仁京があったのは現在京都府の自治体、木津川市(きづがわし)が存在する場所で京都府内の南側の地域です。この場所に遷都した年、九州では藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)という人物が反乱を起こしていました。遷都されたのはこの反乱の首謀者、藤原広嗣さんが処刑されたあとの時期だったようです。反乱が起きていた最中、聖武天皇は平城京を離れ伊勢や現在の岐阜県、滋賀県にあたる地域などに行幸(ぎょうこう)、外出していたと言われておりこの行幸や遷都の理由については理由が不明だと言われているようです。

難波宮へ

西暦740年に恭仁京に移ったばかりだったのですが、この地に都を移したのはいいものの、うまく整備が出来なかったのか、建設途中で別の土地に都を移してしまいます。移った先が難波宮でした。移動したのは天平十六年、西暦744年です。現在の大阪府大阪市にあたる地域に難波宮は存在していました。しかしこの場所を利用した期間は恭仁京を利用した期間よりも更に短くなります。

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紫香楽宮(しがらきのみや)へ

744年に移動した難波宮でしたが、難波宮が都とされたのは一年未満(744年2月~745年1月)という短さでした。次に都とされたのは紫香楽宮(しがらきのみや)です。この都が存在していたのは現在の滋賀県甲賀市(こうがし)が存在している地域でした。甲賀宮(こうがのみや)などとも呼ばれていたようです。先ほども触れましたがこの地が都とされたのは天平十七年、西暦745年でした。

また平城京へ

紫香楽宮を都としたのも束の間、同じ年(745年)の内に都をもともと恭仁京に移動させる前の都であった平城京に戻すことになります。紫香楽宮が都だったのは4か月ほどだったそうです。なぜ平城京に都を戻したのかについては理由が明らかになっているわけではないようです。平城京に都を戻して以降、遷都の話は出てきませんでした。

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今回は聖武天皇の遷都について一部取りあげました。聖武天皇のおこなったことについて教科書で記載されている中でも都をどんどん変えていったことが述べられていたのですが、全然効率のいいことではないですし、お金もたくさんかかるであろうそのような事業をどうしておこなったのか関心を持ち、遷都に関する記事を作ってみることにしました。しかし遷都に関する聖武天皇の意図というのは明らかではないそうで・・・。時期的に上の項目で触れた反乱事件が何らかのきっかけになっているのかもしれませんが推測の域を出ません。先日桓武天皇が平安京に遷都する以前に長岡京に都を移していたものの、短期間で平安京にさらに移動した件について記事を書きましたが、それだってせいぜい2回の遷都です。5年の間に都を4回移動させるというのはさすがに冷静な対応とは言えないですよね。聖武天皇の側近の方たちが納得するような事情はあったのでしょうか。無謀な政策とも感じる遷都事業が実際におこなわれたという事実は天皇という立場の権限が非常に大きかったということを示しているようにも感じます。しかしその政策に従って都の移動、造営のために動員された人々は相当疲弊したのでしょうね。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

聖武天皇の政策について触れている話「有名な東大寺の大仏はなぜ建てられたのでしょう」はこちらです。

聖武天皇の政策について触れている話「墾田永年私財法とは簡単に言うとどういったものなのでしょう」はこちらです。

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