日本人がブラジルに移民したのはなぜだったのでしょう

なぜブラジルに日本人移民が

日本人の移民について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では私なりに日本人がなぜブラジルに移民として移り住んでいったのかについて書いてみたいと思います。日本国民が日本からとても離れた地域である南米大陸の国、ブラジルに移民として移り住むという動きが顕著だったのは西暦1920年代、大正時代末期から昭和の初めにかけてだったようです。初めてブラジルに移民として日本人が移り住んだのが明治四十一年、西暦1908年なので10年以上経過した時期ということになります。しかし日本人がわざわざ遠い国、ブラジルに移民しようとしたのはなぜだったのでしょう。日本の人々の経済的な理由があるのは当然なのですが、ブラジル側としても働き手が欲しいといった事情や本来日本人が働きたがっていた国に移り住んで仕事をするのが難しくなったからという当時ならではの事情もあったようです。

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経済的な理由

ブラジルに移り住んでいった日本の人々はもともと他国で出稼ぎ労働者として一生懸命働いて、働いている現地で収入を得て、お金を貯めて、まとまったお金がたまったら故郷の日本へ帰って、日本で生活しようと考える人が多かったようです。祖国の日本で経済的に余裕を持った状態で暮らすことを最終的な目標にしていたということですね。実際他国に出稼ぎに行って現地でお金をたくさんためて日本に帰ってきて日本で農地を購入し、自宅を購入しそれなりに生活することが出来るようになった、当時の周囲の人々から見て成功者と映る方々もおられたようです。そういった成功事例にならって自分たちも他国に出て行って経済的に成功しようと考える人たちが出てきました。また日本国内の経済状態が良くなく、いいお金になる就職口が少ないという理由で海外に目を向ける方々もおられたようです。ブラジルへの移民が開始された時期は日露戦争が終了した西暦1905年から三年後のことです。日露戦争が終わった後、日本社会は戦後恐慌と呼ばれる不景気な状態となっていました(戦争が終了することによって発生する景気が悪化した状態を戦後恐慌と言うそうです)。日露戦争後に不景気になった理由については賠償金がロシア側から得られなかったなどの指摘があるようですが、とにかく日本国内の景気が悪化しました。そうなると良い就職先も当然減ります。日本人のブラジルへの移動がすごく盛んだった1920年代はどうだったかというと基本的に第一次世界大戦が終了した後ということもあって世界大戦時に比べ消費活動も低迷したことから景気は良くありませんでした。昭和二年、西暦1927年にはそもそもの原因は関東大震災とも言えますが日本国内では金融恐慌と呼ばれる大変不景気な状態となっています。

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ブラジル側の事情

ブラジルではもともとアフリカ系の人々が奴隷としてブラジルに連れて来られ農地などで労働させられていました。時代によって主力となる農作物は異なるようですが生産される農作物、あるいはその農作物によって作られた品物がブラジルの経済を支えていたようです。ただアフリカ系の人々を奴隷とする政策は西暦1888年にブラジルで終わりました。1860年代にアメリカで奴隷が解放されたという出来事はブラジルの政策変更に大きく影響したようです。奴隷状態から解放されたアフリカ系の人々は奴隷として働いていた仕事から離れていきました。このため奴隷状態の人々に働いてもらっていたおかげで利益を得ていた産業がうまく回らなくなっていったようです。ブラジルは奴隷政策終了後労働力不足で困ることになりました。そんな中、日本から働いてくれる人がやって来ることはブラジルにとって好都合だったわけです。

行先が制限されていました

どうせ他国で働くのなら、どういった国で働きたいかと問われれば、賃金をたくさんくれる国、安全に過ごせる国、差別されない国、等々いろいろな要望が出てくるかと思います。日本から移民する人々の多かった時代もやはり賃金がたくさんもらえる国は出稼ぎに行きたい国として人気がありました。アメリカ合衆国は特に人気があり、一時期まで日本から多くの人々が移り住んでいました。しかし日露戦争終了以降アメリカ社会での日本人に対する風当たりは次第に強くなります。白人の国であるロシアが黄色人種の国日本に負けたこともあって黄色人種が今後白人社会に悪い影響を及ぼすのではないかという懸念が広がったという見方があります。アメリカ社会での差別が強まり日本政府としても日本人がアメリカに移住することを規制する枠組みをアメリカ政府と協議して設けることとなりました。明治四十年、西暦1907年に日米紳士協定(にちべいしんしきょうてい)が締結されますが、これはアメリカへの移民を制限する約束です。好条件で働ける国へ行く道が断たれて移民を考える人々の行先が限られていきました。そこで注目されるようになったのがブラジルだったというわけです。

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今回は日本の人々がブラジルに移民した理由について一部取り上げました。平成三十年、西暦2018年はブラジル移民が始まって110年経過する節目の年ということで記念式典もおこなわれたのだそうです。平成三十年、西暦2018年はどんな年だったかなと思いネットで振り返ってみたところそのようなブラジルへの移民の話題を目にして、どうしてブラジルに行くことになったのか理由を確認したくなり今回のようなテーマの記事を作ってみました。不景気、現地の労働力不足、差別、移民規制など当時の厳しい状況が背景にあったことを今回知ることが出来ました。確かに国内の経済が良くなくて他国に行って働くことで成功する道があるぞといった情報が出回ったら出稼ぎしようという人々も増えてくるのでしょう。しかし行った先では日本国内で聞いた話とは全然違う過酷な状況が待ち受けていたようです。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

米国での出来事について触れている話「日本人学童排斥事件(隔離事件)とは?日本人移民排斥運動についても」はこちらです。

大きな戦争の後に起きた経済混乱について触れている話「日本の戦後恐慌とは?恐慌が起きた原因や影響についても」はこちらです。

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