戦後におこなわれた軍人などに対する公職追放とは

軍人などの戦後の公職追放

公職追放(こうしょくついほう)という表現は一般的に特定の人を政府などの公的機関の要職や公的機関に限らず民間企業の要職から締め出すこと、そのような要職に就かせないことを意味しますが、ここでは戦後の昭和二十一年、西暦1946年にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が占領政策としておこなった公職追放について書いていきます。昭和二十年、西暦1945年に連合国による日本の占領が始まって以降、特定の人々を職場から追い出す命令はGHQからすでに出されてはいました。1945年の10月に出されたいわゆる人権指令によって特別高等警察など一部警察関係機関の職員が辞めさせられることになりましたし、同じ月に出されたGHQの命令によって戦前に軍の意向を強く反映した政府の方針を熱心に支持していたような教職員も職場から追われることとなっていったそうです。このように一部の警察関係者、教育者に関してはすでに今までの職場を追われていました。1946年に入って間もなくの1月4日、多くの職場が仕事始めとなるであろう日にGHQから「好ましくない人物の公職よりの除去の件」などと訳されている覚書(おぼえがき 本来は忘れないよう書いておく文書、略式の外交文書などで使われる表現です。GHQがメモランダムと表現しているので覚書と日本語訳されているようです)が出されました。このGHQからの命令によってたくさんの人がそれまで活動していた職場を去ることになります。覚書の中には追放されるべき対象者として七つの項目が挙げられていました。GHQが戦争犯罪人と見なす人たち、正式な職業として帝国陸海軍の軍人だった人たち、超国家主義団体と見なされた組織の幹部の人たち、大政翼賛会のような政治団体で指導的な立場だった人たち、海外の金融機関などの職員、台湾、朝鮮、満州で行政長官をした人たち、今挙げたような人たちの中に当てはまっていないその他の軍国主義者、超国家主義者と見なされた人たち、以上のような項目を設けて追放すべき対象者を分類していました。

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このような覚書がGHQから出されたため日本政府もその命令に従わなければならなくなり、勅令(ちょくれい 天皇がお出しになる法的拘束力のある命令のことです)という形式で日本政府から「公職追放令」と呼ばれる法令が出されることになります。超国家主義団体と見なされた団体の中には明治時代に誕生していた政治団体である玄洋社(げんようしゃ)もありました。このGHQの指示によって公職追放対象となった人たちの数は20万人以上にもなったそうです。そのうち軍人の方々は16万人以上にものぼりました。大半が軍人ということになります。その中には幣原内閣の前の政権、東久邇宮内閣の首相であった東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)さんも含まれていました。皇籍離脱された1947年に追放対象者とされたそうです(1952年に解除されました)。松下電器の松下幸之助さんも公職追放対象者となっていました。軍需品の生産に関わったりするなど軍に協力する仕事もあったことからそのような処分をされたようです(1947年に解除されました)。また言論界で活動していた人たちの中からも戦意を高揚させたなどの理由で追放対象となった人が出ています。その一方政府の軍とは異なる役所の官僚からは追放対象となる人はあまり出なかったそうです。

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公職追放の影響

各界の指導的な立場の方々が大勢追放されることとなってしまったことで、追放された人たちの後輩にあたる人たちが指導的な立場にならざるを得なくなりました。また社会主義、共産主義などの政治思想に寛容な人たちが追放対象者とされることはなかったため職場に必然的に残ることとなり、その後大学などの教育機関、言論界で指導者となる機会が増加していきました。そういった人たちの影響を受けた教え子たちが全国の有名大学の教官となっていったためその影響は非常に大きかったという見方もあるようです。上の項目で官僚から追放対象者があまり出なかったことを書きましたが、反対に有力政治家の多くが追放された事で官僚の力が政府内で強まっていったという指摘もあります。また首相になることがほぼ決まっていた人物がその直前に公職追放対象者とされてしまい、結局別の人物が首相に就任したという出来事も起きてしまいました。鳩山一郎さんの件です。

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今回は公職追放について取りあげました。GHQが命令した政策の中でも有名なものでしょうし、どのような人が対象になったのか確認してみたく調べてみることにしました。調べてみてこの人を何故追放するのだろうと思う事例があるように感じました。また、職業軍人というくくりで対象者にするというのは乱暴だなとも感じました。例えば海軍出身の首相経験者の岡田啓介さんや米内光政さんといった方々はいわゆる軍国主義者、極端な国家主義者といった人たちではないような気がします。米国や英国との関係にむしろ配慮しようとした人たちという印象が強いので追放対象になったことについては不思議な感じがしました。多くの職業軍人を追放対象者としたのは軍人一人一人を思想や行動面で正確に調査することが当時難しかったということなのでしょうかね。鳩山一郎さんもどうして対象になるのでしょう。1942年の翼賛選挙の時、大政翼賛会に関わっていないと非常に不利な情勢の中、大政翼賛会から推薦を受けずに選挙を戦い当選された方です。軍国主義者、極端な国家主義者などという印象は全然ありません。また、松下幸之助さんを対象者とすることにどれほどの意味があるのかよくわかりません。この記事で挙げてきた一方的なGHQの命令も、その後米国の共産主義に対する警戒心が強まったことなどを理由に追放の解除などという形で方針変更されていくことになります。GHQが指示した公職追放という措置によってたくさんの人たちが振り回されることになりました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事ではジュンPさんによる写真ACからの写真を使用させていただいております。

日本占領中に連合国がとった政策について触れている話「日本で財閥解体がおこなわれた理由は何なのでしょう。」はこちらです。

日本占領中に連合国がとった政策について触れている話「戦後に日本で農地改革をおこなった目的は何なのでしょう」はこちらです。

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