南満州鉄道を関東軍が爆破したという根拠は何なのでしょう

歴史教育では関東軍が南満州鉄道の線路を爆破と明言

第二次世界大戦が始まる以前の日本や中国大陸で発生した有名な出来事、戦前の日本軍にまつわる話について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では満州事変という出来事の発端となった柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)を日本の派遣軍、関東軍が起こしたとされている根拠というものがどのようなものなのかについて自分なりに書いてみたいと思います。私が所有している日本史の教科書を確認してみますと、関東軍が昭和六年(1931年)9月18日に柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破したという内容が明確に書かれています。それだけではなく当時関東軍の幹部であった具体的な人物名(石原莞爾 いしはらかんじ)まで載せられていて、載せられている文章を読めば動かしがたい事実、検証されて全く否定しようのない話であるかのように受け取ることが出来ます。世の中ではこのように柳条湖事件を引き起こしたのは関東軍、それが当たり前、といった前提で歴史が教育されています。日本軍が自作自演で引き起こした事件をきっかけとして、日本軍は中華民国国民党軍に属していた現地の武装勢力と武力衝突し満州全域を制圧したという内容ですから日本国、日本人としては不名誉な話ではあります(戦前は多くの日本人が中国軍の仕業で線路が破壊されたと信じていました)。一体この柳条湖事件というのはどういった内容の証拠を基に関東軍の仕業(南満州鉄道の線路を爆破したのは関東軍)だとされているのでしょう。かつて関東軍での職務を担当するため日本から派遣されたことのある日本軍の上級の軍人が第二次世界大戦終了後、南満州鉄道の線路は関東軍によって爆破されたという内容の話をしたことや、爆破に関東軍が関与したと強く疑う(現地の)外務省関係者から外務大臣に報告された内容などが関東軍による犯行だという根拠とされているようです。

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上級軍人の話

日本陸軍の軍人だった人物が戦後、柳条湖事件について証言しているという話は様々な方々が指摘されています。具体的には、花谷正(はなやただし)という人物が終戦から十年後の昭和三十年(1955年)に、当時河出書房(かわでしょぼう)から刊行されていた月刊の雑誌である「知性」の別冊の中で満州事変の内幕を暴露したというものです。花谷正氏は満州事変が起きた時少佐で、奉天(ほうてん 現在の中国遼寧省の中心都市、瀋陽しんよう)の関東軍関連機関の職務を担当していたのだそうですが、この花谷氏が柳条湖事件における線路爆破を計画したと話していたのだそうです。ここでは具体名を掲載しないこととしますが、線路爆破に実際に関わった日本軍の軍人の名前も花谷氏は出しているようで、関東軍の独立守備第二大隊第三中隊の士官らが線路に爆薬を仕込み、爆破してそれを合図に関東軍の部隊が中華民国国民党勢力に攻撃をおこなったという内容を証言しました。花谷氏を取材したのは歴史に関する分野で頻繁にテレビ、新聞でコメントが取り上げられる名の知れた人物ということもあり、この花谷氏の話す内容が信ぴょう性に富んでいるという印象を強める効果があるようにも感じられます。先ほどの項目で名前を出した石原莞爾氏もこの花谷氏の証言の中に登場して、線路を爆破した後に中華民国側の軍隊を関東軍が攻撃するための作戦の計画を立てていたとされているようです。柳条湖事件にまつわる関東軍の動きについて詳細な話を証言した事例は他に見かけることは無く、柳条湖事件自作自演説を支持する歴史家の中では花谷氏の証言はかなり重要視されているように思われます。作戦計画に携わったと花谷氏に言われている当の石原莞爾氏ですが、東京裁判の関係で山形県において証言台に立った時、柳条湖事件は関東軍が線路爆破して起こしたものだという話はしていません。ただ事件後の満州事変の作戦において自分も中心的な役割を果たしたという点について、石原氏は大いに認めていたようです。もしこの証言の場で柳条湖事件が関東軍による謀略によって引き起こされたと石原氏が認めていたのなら、その事実は後世においても大々的に取り上げられるはずですがそのような話は石原氏の口からは出ておらず、別の場で柳条湖事件のあらましを尋ねられた時も石原氏は関東軍が線路を爆破したという説を明確に否定していたそうです。

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日本外務省内のやりとり

関東軍自作自演説を疑うような話は外務省からも出てきています。当時満州に奉天総領事として赴任していた外務省関係者(外交官)である林久治郎(はやしきゅうじろう)という人は柳条湖事件の線路爆破を関東軍がおこなったものと疑い、その件を当時の外務大臣である幣原喜重郎に報告しています。昭和六年(1931年)9月19日、柳条湖事件の翌日に外相あてに出された電報(第630号)では日本陸軍参謀本部(日本陸軍の作戦指揮を担当する機関)の重要人物が柳条湖事件の起きる現地時間18日当日の昼に満州を訪れ関東軍幹部と接触したという話(柳条湖事件発生は18日夜10時以降です)や南満州鉄道幹部の話では9月18日の爆破によって破損した線路を鉄道会社の職員が修復しようと現地に向かったところ、関東軍が規制していて近寄らせてもらえなかったといったことがあったらしいという情報を理由に柳条湖事件は関東軍の計画的行動によって発生したものと想像される、といった内容が伝えられていました。また柳条湖事件が起きる以前の9月15日の時点で林総領事が南満州鉄道の幹部から得た情報として関東軍が部隊を集結させたり戦闘に必要な物資を移動させたりしていることから何らかの軍事行動を関東軍が起こそうとしているのではないかという懸念を持ち外相に報告していたとの話もあるようです。ただそれに関する電文のようなものは確認できませんでした。しかしこの報告によって日本政府の閣議において関東軍の独断での軍事行動について議論となり陸軍大臣が関東軍の動きを抑えさせるという目的も兼ねて、満州に先ほど触れた参謀本部の重要人物を派遣したとも言われています。林総領事の電文の中でも派遣された参謀本部関係者が9月18日に満州に入ったという情報が報告されていますし、柳条湖事件発生以前に林総領事が外相あてに関東軍暴走について、閣議で議論になるような注意喚起の報告をしたというのは実際にあったことなのかもしれません。ただこの総領事の電文による報告自体が関東軍による線路爆破を証明する根拠となるかと言えばどうなのでしょう。収集した情報を総領事なりに分析した推測であり、情報自体も線路で関東軍が爆破をしたのを目撃したような類のものでは全くありません。爆破現場に満州鉄道の職員を近づけなかったことを理由に線路爆破が関東軍の自作自演と結論付けることについては意見が分かれることになるようにも思います。

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今回は満州事変のきっかけとなる柳条湖事件が関東軍による仕業だったとする根拠について取り上げました。歴史の授業ではこういう経緯で関東軍の犯行が判明したなどという話は全く聞いたこともなく、しかし断定的に教科書に書かれているものですから、関東軍がやった証拠というものが何なのか確認してみたく今回のようなテーマの記事にしてみました。関東軍に所属していた人の証言、外務省の通信内容が調べてみた範囲では根拠となっているように思われます。花谷氏の証言は戦後10年経過したころの話なのですが、この時期は関東軍に所属していた人たちがまだたくさんご健在でしたでしょうから他の人からも話を聞こうと思えば聞けたのではないかとも感じました。しかし彼以外関東軍関係者で線路爆破が関東軍による仕業と証言している人は見つけられませんでした。皆口をつぐんだということなのでしょうか。不名誉な話と言えば確かにそうなのでしゃべりたがらない気持ちもわからないではありませんが、虚偽であるなら同様の証言など出てくるはずもないでしょう。一人だけの証言だとその人物が本当のことを話してくれているのかどうなのか判断しかねるところがあるような気が個人的にはしてしまいます。中心人物とされる石原莞爾氏や板垣征四郎氏といった方々が線路爆破に関東軍は関与していないと主張されていたそうですが、彼らの発言を額面通り受け取っていいものなのか悩ましい感じもします。当事者ですので。こういった具合で線路爆破の犯人が関東軍であるという否定しようのないはっきりとした証拠があるのかと思っていましたが、ごく限られた個人の証言といった、人によっては信用するかどうか意見が分かれてしまうような類のものであったので、そういった点で非常に意外に感じた次第です。過去の出来事を分析する根拠というのはなかなか明快なものばかりというわけでもないようです。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事では写真ACさんで提供されている写真素材を使用させていただいております。

柳条湖事件について触れている他の話「柳条湖事件とは?事件を起こした理由や石原莞爾についても」はこちらです。

柳条湖事件にまつわる他の話「柳条湖事件後の関東軍の動きと政府(若槻礼次郎内閣)の対応」はこちらです。

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