戦後の日本で行われた北朝鮮への「帰国事業」について

戦後、帰国事業と称して北朝鮮へ

第二次世界大戦が終了した後の日本国内の出来事、昭和時代の歴史や北朝鮮にまつわる話について関心を持たれてこのページに来られた皆様、こんにちは!この記事では第二次世界大戦が終了した後の日本で実施された、北朝鮮へのいわゆる「帰国事業」について自分なりに書いてみたいと思います。この帰国事業というのは日本国内にいた朝鮮半島出身の人々の一部が建国されてそれほど期間が経過していなかった朝鮮半島の国、朝鮮民主主義人民共和国へ移住目的で渡航することを推し進めた出来事のことです。この名称、「帰国」とありますが、日本国内にいた朝鮮半島出身の人たちが戦前に日本本土に移ってきた時(日本に移り住んできたのは戦前の場合も多かったでしょうし)に朝鮮民主主義人民共和国という国は存在しておらず、朝鮮半島自体が日本国となっていました。朝鮮半島に帰るということであれば意味に誤りはありませんが「帰国」というのでは必ずしも正確なわけではないのでしょう。そもそも帰国事業に参加した朝鮮半島出身者の結構な割合の方たちは韓国が支配する朝鮮半島南部の出身者でした。帰国事業という表現がしっくりこないという人が少なくないためなのか、他に帰還事業と呼ばれていることもあります。この「帰国事業」の取り組みは日本政府、朝鮮民主主義人民共和国(以降北朝鮮と記します)政府が共に了承して実施されました。その際、日本と北朝鮮の赤十字団体が交渉をおこない、話を進めたそうです。赤十字団体が間に入ったのは日本と北朝鮮、二カ国の間に国交が無かったからです。交渉は進展し、日本国内で生活していた朝鮮半島出身者の一部が実際に北朝鮮へ船(ソ連製の船だったそうです)を使用して渡っていきました。この事業で北朝鮮へ渡った人々の人数は10万人弱という大変な規模となっています。正確な人数ですが、黒川星子さんの作成された論説、「一九五〇年代の在日朝鮮人政策と北朝鮮帰還事業:帰国運動の展開過程を軸に」によれば93340人が全帰還者数となっております。この膨大な数の人々は一斉に短期間で北朝鮮へ渡ったのではなく1959年から1984年まで、四半世紀の長きにわたって断続して北朝鮮へ渡っていきました。1980年代半ばで帰国事業が終了した理由というのは北朝鮮政府側で在日朝鮮半島出身者を受け入れようという意気込みや日本政府側が北朝鮮へ送り出す必要性が相当弱まったからという見方があります。実際1984年に北朝鮮への移住目的で日本から渡航した人々の数は30人だったそうで過去の渡航人数の規模と比較すると桁違いに減少していました。1980年代になると在日朝鮮半島出身者の間でも北朝鮮へ渡る意欲は相当弱まっていたとみることが出来るでしょう。

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北朝鮮移住の背景

日本と北朝鮮、どちらの政府とも了承するなどという出来事は、国交も無い、関係が良くない二カ国間であまりないようにも感じますが、この事業に関しては話が進むこととなりました。日本政府は最終的に帰還事業を了承しましたが、その理由として人道的な配慮からという主張がおこなわれました。当時の首相岸信介さんが国会でそのような答弁をしていたようです。この場合北朝鮮への帰還事業がどうして人道的なのかというと、岸内閣で帰還事業が了承された1959年当時、日本国内では日本に在留する朝鮮半島出身者の間で北朝鮮へ移り住むことを希望する人々が多数いたからです。移り住みたい国が日本と国交を結んでいない国であったとしても、そういった人々の移住に関する私的な強い希望を認めることは人道上道理にかなっているであろうということで人道的な理由という表現を使用し説明されたようです。北朝鮮側は日本在住の朝鮮人から移住の要請があったことに対する応答として在日朝鮮人の帰国を熱烈に歓迎すると1958年に発表します。世の中に対する関係国の公的な表明はこのようなものでしたが、日本政府としては在日朝鮮人の人々が朝鮮戦争に反対する政治活動や日本国内で生活上の権利(生活保護獲得など)を要求して運動を活発化させていることについて対応に苦慮していたので帰還事業で多くの在日朝鮮人が北朝鮮に渡ればそのような運動の軽減も期待できます。また、当時の日本社会では在日朝鮮人の帰還事業を推進する世論がとても強まっていました。そのような中、帰還事業を日本政府が認めないとなると世論の反発が強まります。当時政治上の重大な案件だった日米安全保障条約の改定に反対する国内の運動は活発でした。この帰還事業の運動と安保反対の運動が結びついて日本政府に対する風当たりが強まると安保改定に悪影響が出てしまうことが心配されたので帰還事業が承認されたという見方もあるようです。北朝鮮側にも帰還事業で在日朝鮮人が北朝鮮に移り住むことにより朝鮮戦争後の復興に必要な労働力を確保することが出来るという期待がありましたし、同じ朝鮮半島の国、大韓民国と張り合っている状況ですので少しでも韓国より優位であることを示したい事情があったようです。当時の北朝鮮は自国が大変繁栄していると盛んに国外向けに宣伝していましたし、そういった宣伝をしている手前、自国に移住したいという人が大勢いるという状況は当時の北朝鮮の体制にとって対外的に体面を保てますし都合が良かったのでしょう。

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在日朝鮮人側の事情、日本国内の雰囲気

先程の項目では日本政府や北朝鮮政府の姿勢や思惑について触れましたが、在日朝鮮人の人々が大勢北朝鮮へ行くことを希望したのはどうしてなのでしょう。よく指摘されているのは、当時の日本国内での厳しい事情です。日本社会では在日朝鮮人が差別されてしまうことが珍しくなく、就職をするのも非常に困難でした。そのため生活が安定しない世帯も多く、このまま日本社会で生活を続けても困窮してしまうことから北朝鮮での生活に望みをつなごうという人たちが大勢出る結果となりました。1950年に生活保護法が改正され生活保護の適用対象から在日外国人は外れることとなります。こうした動きが日本社会で生活することに、より一層望みを失う人々を生み出す要因となった、という指摘もあるようです。また大韓民国側に強制送還される場合、共産主義者弾圧が激しかった当時の韓国ですので身に危険が及ぶことを恐れ北朝鮮へ行くことを希望する人々も中にはいたそうです。当時の北朝鮮に関する正確な情報を日本国内で入手することは大変困難でした。主流の報道機関の一つである複数の有名な新聞社は北朝鮮国内の状況について購読者が悪い印象を持つような情報を提供することはなく、「地上の楽園」という北朝鮮側の政治宣伝に沿うような、素晴らしい国であるという内容の記事を掲載していたそうです。日本国内に出回る北朝鮮に関する書籍についても当時北朝鮮の政府と友好関係にあった政党とつながりの強い人物が執筆していたものがよく読まれていたそうですが、北朝鮮の状況を礼賛する内容で正確な情報を期待することは出来ませんでした。衣類、食事、生活する住居に事欠くことは無く、豊かな生活が出来る、教育機関の費用もタダ、医療費もかからない、日本と北朝鮮の間を自由に往来することも可能。そのように説明して帰還を勧める人々もおり、生活の厳しい日本よりも、と考える人々が出てくるのは自然なことだったのでしょう。しかし北朝鮮の現実は日本国内で聞いていた内容とは全く異なり、物資が不足し、自由も無く、身内のいる日本からの仕送りに頼らざるを得ないほど厳しいものでした。帰還事業がおこなわれるにつれ北朝鮮内の状況は次第に漏れ伝わることとなり、移住希望者は減少していくこととなります。

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今回は戦後の日本で行われた北朝鮮への帰還事業について取り上げました。最近は中国大陸の古代の歴史について記事にすることが多く、久しぶりに戦後の日本で起きた出来事を記事にしてみようと思いました。北朝鮮による日本人の拉致については以前記事にしたこともありましたが、これまで在日朝鮮人の帰還事業について扱うことは無く、個人的にもあまり知らない話でしたので確認してみたい思いもあり今回のようなテーマの記事にしてみた次第です。現在の日本社会では北朝鮮による拉致事件の存在が常識となっており、核やミサイルの開発をおこなうことで国連からも制裁が科せられている状況ですから北朝鮮に対し肯定的な印象を持っている日本国民は少数派なのだろうなと思います。そのため1950年代後半の日本社会で、北朝鮮は素晴らしい国という情報が広まっていたという話は個人的に想像するのがなかなか難しくもあります。多くの人が目にする有名な新聞でそのような論調(北朝鮮は素晴らしいといったような論調)の記事がたびたび掲載されれば、購読者は疑うことなく信用してしまうものなのかもしれません。現在のテレビのニュース、新聞記事にもそういった現実とは異なる偏った視点が無いとも言えませんし、大手のマスコミが流す他国の情勢に関する見方、主張を鵜呑みにするのはやめた方がいいのかなぁという感想を持ちました。補足しておくべきと思う点を挙げておきたいと思います。この帰還事業に参加した人々の数は本文で示した通り93340人です。そのうちの約1800人が日本人配偶者でお子さんなども含めると日本国籍者は約6800人にものぼったそうです。その日本人妻の方々お一人お一人がその後どうなったのかについては日本側との連絡が困難になってしまう事例が多く正確なことがわからないようです。帰還事業がおこなわれた年代を考えますと高齢となって亡くなられている人々も多いと思われます。北朝鮮側で情報を集めている人の記事を目にする機会があり、日本人妻のインタビューがその記事には掲載されていたのですが、出来れば日本に行きたいという話をされていました。自由に往来できず何十年も異国で、しかも統制が厳しく食料、水が乏しい中で生活するというのはどれほどつらかったことでしょう。日本人配偶者の身内である日本の人たちも本当に心配されていることと思います。客観的な情報が無い、あるいは乏しい状況の国に移り住むというのは本当に危険なことなのだなぁと記事を作成していて強く感じました。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

今回の記事では写真ACで提供されている画像を使用させていただいております。

北朝鮮による拉致について触れている話「北朝鮮に拉致された日本の被害者の方々の人数は」はこちらです。

韓国の過去の対北朝鮮政策について触れている話「韓国で過去に行われた太陽政策とは?中断した理由についても」はこちらです。

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