江戸時代の日本は中国大陸の国とどんな関係だったのでしょう

江戸時代の中国大陸の国との関係

 

江戸時代の日本は限られた国との交流をする鎖国政策を続けていました。思い浮かぶのはオランダや当時の中国大陸に存在していた大国の清などですが、たとえばその前の、中国大陸に存在していた大国との関係はどうだったのでしょう。豊臣秀吉さんが朝鮮半島に攻め込んだ時中国大陸に存在していた大国は清ではなく明(みん)でした。明の援軍などもあり秀吉さんの野望は失敗に終わるわけですよね。明の時代は日本による朝鮮侵攻の後も続きますが、江戸時代に入ってしばらくたつと亡んでしまうことになります。具体的には西暦1644年(日本では寛永21年だそうです)に明が亡んで清という国がその後誕生します。江戸幕府と明の関係はどうだったのかあまり歴史の授業でやった記憶が無いのですが、政権同士の友好的な関係は構築できないままだったようです。かといって戦争状態だったわけではありませんでしたが。江戸幕府が誕生してから日本側は明に対し接触して国同士の交流をしようとはたらきかけはしたのだそうです。しかし明からはいい返事がもらえないままとなり、明がそのうち亡んでしまう・・・、ということになってしまいました。

スポンサーリンク

明に対し朝貢していた李氏朝鮮や琉球王国に間に入ってもらって日本が関係を構築しようともしたようですが、日本に対しては朝鮮半島侵攻や以前問題になっていた日本人による海賊行為、倭寇、和寇(どちらも「わこう」と読みます)などと呼ばれたそうですが、そういったことで関係が悪く修復が困難だったのか、駄目だったようです。そのため室町時代におこなわれたような明との間の大々的な貿易はおこなわれず、他の国で日本の商人と明の商人が商売の取引をするような、そういった細々としたつながりがある程度でした。実は清国が誕生してからも日本は清との関係が良好だったかというとそういうわけでもありませんでした。清に対して江戸幕府はあまりいい印象を持っていなかったのか、明の時とは異なり日本側が国交を構築するためのはたらきかけを清王朝に対し積極的にしていたという情報を目にする機会がありません。また清側から政権同士交流しましょうよという江戸幕府に対する働きかけも特に無かったようです。

 

スポンサーリンク

しかし貿易はおこなわれていました

 

政権同士で使節派遣をするような、日本と朝鮮の間にあったような交流は日本と清の間に存在していなかったようですが、貿易に関しては清の商船が日本の領地である長崎に寄港し貿易することが認められていました。中国大陸で生産される生糸や絹織物や書物の需要、日本で産出される銀や銅の需要が双方の国にあったことで民間レベルの交易は続くことになります。銀が海外に流出することを幕府側が問題視して寄港する商船の数を制限するという動きはあったようですが、貿易自体は中止されていません。また情報の精度については議論があるようですけれど、幕府の担当者が清からやってくる商船の関係者にいろいろ話を聞いてその話の内容を風説書といった名前の文書としてまとめ、幕府中枢のお役人に提出していたそうです。幕府にとっては貴重な情報源の一つとなりました。貿易を続けることで必要な品々や情報を日本は手に入れていたようです。

 

スポンサーリンク

今回は中国大陸の大国と江戸幕府の関係について一部取りあげました。政権同士の交流が無く貿易をするくらいという状況だったようです。明も清も相手が朝貢しますという態度を示さない場合の交流をしたがらない、そんな特徴があったという指摘もあります。明を倒した清のことを日本側が中華、世界の中心という見方をしていなかったとも言われていますので、江戸幕府にはわざわざそのような国に日本が朝貢する必要もないだろうという考えもあったのかもしれません。朝貢する態度を示さない限り交流しないとか、中華かどうかといった考えが交流の幅を狭めていたのかもしれないということならもったいない話ですね。漢民族とは異なる民族の国、清なら周辺諸国に対して違う外交姿勢であってもよさそうなものですが。中国大陸で大帝国が築かれてしまうとそれまで存在していた中国大陸の大国と似たり寄ったりの外交方針になってしまうのでしょうかね。清王朝の末期には欧米列強が清との交流を持つことになりますが、清は変わらず交流を求めてくる国を属国として扱おうとしてはるかに科学技術の進歩していた列強から反発を受けたという話もあるようです。自国が世界の中心だぞと悦に入っているのは気分が良いのでしょうけれど、現実と乖離した状態になると惨めなことになってしまいそうな気がします。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

大国の清がイギリスに敗れる出来事に触れている話「アヘン戦争が発生した原因と戦争の結果、日本への影響について」はこちらです。

アヘン戦争後清国がまた敗れてしまう話「アロー戦争とは?起きた理由と戦争した国、結ばれた条約について」はこちらです。

関連記事

ページ上部へ戻る