秀吉さんが命じた朝鮮出兵はどんな結果になったのでしょう

秀吉さんによる朝鮮出兵の結果

秀吉さんの天下統一、日本国内の有力な勢力が全て秀吉さんの指示に従う状態となってからそれ程期間を置かずに実施された朝鮮出兵。結局秀吉さんが慶長3年、西暦1598年にお亡くなりになって朝鮮半島での軍事行動は中止されることになりました。そのこと自体は非常に有名ではありますが、この朝鮮出兵という行動は他にどのような結果を残すことになったのでしょう。戦いを通して日本側から派遣した軍勢が壊滅的な打撃を受けるということは無かったようです。ただし朝鮮半島内に日本の領地を獲得することは実現しませんでした。また朝鮮半島で生活しているたくさんの人たちが巻き込まれてしまいました。また出兵に参加した日本側の武将が統治する領地で生活する日本の人々も疲弊したようです。半島で戦闘に参加した大陸の大国、明も大きな負担がかかったようです。ということで日本、朝鮮国、明国の三者の中で大きな利益を獲得することの出来た国は一つもありませんでした。

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負けたわけではありませんでした

二度目の朝鮮出兵である慶長2年、西暦1597年に始まった慶長の役は朝鮮半島の南部をまずは日本の支配下に置き大陸攻略の足掛かりとしようということで、半島の南部が戦いの中心となったようです。当初から明国側の軍勢も戦いに参加していました。朝鮮半島の南東部にある拠点、蔚山城(うるさんじょう)では日本側は苦しい籠城戦を強いられたと言われています。ただここでの戦いでも後に日本の軍勢が追加投入され城を取り囲んでいた明や朝鮮の軍勢を撃退することに成功しています。半島南部沿岸の泗川という場所での戦闘でも日本側は大軍を相手に勝利しています。半島の南西部の拠点、順天城でおこなわれた明、朝鮮連合の大軍を相手にした戦いでも日本側は敵の撃退に成功しています。ということで決して連合軍を相手に日本の軍勢は大敗を喫するようなことはありませんでした。ただ出兵を指示した主体である秀吉さんが亡くなり、その命令に従っていた日本の各武将はかなり消耗していたこともあり、秀吉さんが亡くなった後、発言力を持っていた家康さんが出兵取りやめを決めた際に目立った反発があったわけでもなく日本側の軍勢は半島から撤収することになります。大きな損害を出さずに半島から日本の軍勢が撤収できたようですし、戦況は日本が一方的に不利だったということではなかったようです。そういうわけで日本は負けたということではないものの、目的としていた半島の一部を日本の領地にすることは実現出来ませんでした。

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半島の被害

朝鮮半島で生活している人々はこの朝鮮出兵の為に大きな被害を受けたと言われています。一度目の朝鮮出兵、文禄元年、西暦1592年の文禄の役で朝鮮半島南西部の全羅道という地域では侵攻する日本の軍勢に対する一般住民を含む抵抗が強かったそうで二度目の慶長の役ではこの全羅道の制圧に日本の軍勢は特に力を入れました。結局抵抗する住民が誰なのかなど簡単に見分けがつくわけでもありませんでしたから大勢の住民の方々を死なせてしまったようです。また半島の人々を日本に捕虜として連れ帰るという行為もおこなわれました。後に日本と朝鮮国の間で関係を構築するにあたりこのことが問題となり家康さんは日本に連れて来た朝鮮半島の捕虜の人々を朝鮮国に戻しています。

朝鮮と共に戦った明

従属国である朝鮮国が日本に奪われないよう朝鮮国と共に戦った明ですが、大国ではあったもののこの戦闘で国力は大変消耗したと言われています。日本の軍勢との戦闘で死亡した明の兵員は詳細な数字が残されているわけではありませんが相当な兵員が亡くなったという見方もあるようです。この戦闘で明は新たな利益を得たわけではなく現状を維持するのに成功しただけにとどまりました。この後、漢民族と異なる民族、女真族が朝鮮半島の北方で勢力を拡大するのですが明国はこの動きを武力で抑えることが出来ず結果的に明はこの女真族の攻勢で滅びることになります。その後大陸の広大な地域を支配した国は近代の日本とも様々に関わってくる「清」という女真族が統治する国です。

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今回は朝鮮出兵の結果について一部取りあげました。これまで朝鮮出兵に関係する記事をいくつか作ってきたのですが、この話題の最後の記事として、この軍事行動がどういった結果を招いたのかという点を主題としたものにしたく、このようなテーマの記事にしてみました。日清戦争のように戦争によって大きな利益を得るという場合もありますが、今回のように大規模な軍事行動をおこなっても結局大陸の足掛かりも得られずに終わるという場合もあります。その過程で戦う双方と戦場になる地域で生活を営む人々にたくさんの犠牲が出てしまいます。これはたくさんの戦果を得た場合でも十分起き得ることです。最悪の場合を考えるとやはり戦争というのはやらずに済ませることが出来れば一番いいというのがこの出来事を調べていて持った感想でした。朝鮮出兵の理由について書いた記事でも少し触れましたがスペインの脅威から日本を守るために大陸を支配下に置く必要があったという見方があります。スペインが実際に明を攻め取ろうとした場合、朝鮮国、明国、スペインと戦わずに勝つ、戦わずに日本を防衛するという戦略はあったのでしょうか。日本がスペインに侵攻されなかったのはスペインの弱体化や日本がスペインの軍事拠点から離れたところにあるという地理的な要因もあるのかもしれませんが、日本がそれなりに軍事的な強国だったことが知られていたからという指摘もあるようです。その見方が的を得ているのであれば戦争を未然に防ぐという意味でしっかりとした軍備を整えるということは、実際のところ非常に合理的な対応と言えるような気がします。一部では軍事費を増やし軍備を整える動きを批判する声もあります。あまりに度を越した軍拡は経済、人々の暮らしに当然負担となる側面はあるのでしょうから軍備、軍事費は多すぎても少なすぎても駄目、程度問題ということなのでしょう。

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。    <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

秀吉さんの朝鮮出兵について触れている記事「文禄の役と慶長の役とではどのような違いがあるのでしょうか」はこちらです。

秀吉さんの朝鮮出兵について触れている記事「豊臣秀吉さんが朝鮮出兵を実行した目的は何だったのでしょう」はこちらです。

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