源義経さんと源頼朝さんの関係はどの様に経過したのでしょう

源義経さんと源頼朝さんの関係

 

非常に強い権限を持っていた武士勢力、平家との戦いに勝利し関東の鎌倉に政権を創ることになった源氏勢力の指導者は源頼朝(みなもとのよりとも)さんです。一方源義経(みなもとのよしつね)さんは源氏勢力が平家勢力との戦いに勝利するにあたってとても貢献したと言われることが多いかたです。最終的に頼朝さんが義経さんを討伐するような間柄になってしまいますがこのお二人の関係というのはどのような経過をたどったのでしょう。もともとお二人には源平合戦が始まった頃まで接触は無かったようです。合戦の最中に義経さんが源氏勢力の陣営として参加するようになりました。しかしお二人の間でかなりの不満がたまっていき対面もすることが出来なくなります。関係はその後も悪化しお互いが命を奪い合う、相手を倒そうとするような状態になってしまいました。直接頼朝さんの軍勢が義経さんを殺害したわけではありませんでしたが、頼朝さんが国内で義経さん追及の手を強めた結果、義経さんをかくまってくれていた勢力の後継者が義経さんを襲撃し自害に追い込むことに繋がっていきます。

 

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もともと

 

頼朝さんは父親が平家勢力との戦いで敗れたことで伊豆に流されました。そこで長年生活することになります。義経さんは平家勢力から流刑を科されることは無く、京や有力な武士勢力、奥州藤原氏の領地内で生活することになります。頼朝さんと義経さんは母親が異なる兄弟の関係にありましたが、幼少期も含めてほとんど接触の無いままお互い成長することとなりました。平家勢力が持つ政治的権限が大変強くなり、それを良く思わない朝廷などの勢力が平家討伐の命令を国内の武士に出します。それに応えて治承(じしょう)四年、西暦1180年に挙兵した頼朝さんは富士川の戦いで平家勢力に勝利、勢いを強めました。義経さんは平家打倒の戦いにはせ参じることを決意し、その頃に二人は対面を果たすことになります。頼朝さんは義経さんを歓迎したようで、義経さんに軍勢の指揮を任せるようなこともしたそうです。

 

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相手に対する不満がたまっていきました

 

義経さんは平家との戦いで勝利に貢献したのですが、戦をおこなう時に勝手な行動が多いという批判を受けるようになります。手柄を独り占めするようなことをしているという報告が頼朝さんに入るようになります。そういった事情のためなのか戦の勝利に義経さんが貢献してもそれに見合うような称賛を頼朝さんは義経さんに与えなかったという指摘が多いようです。また頼朝さんは配下の人々に対し頼朝さんの許可なく勝手に朝廷から官位などをもらわないようにという規則を設けていたそうですが、義経さんは後白河法皇から検非違使(けびいし)という役職に任命され、義経さんもそれを引き受けるという判断をしてしまいました。武士勢力内の秩序をしっかり統制したい頼朝さんにとってはこの義経さんの判断は受け容れがたいものだったようです。義経さんに限らず朝廷から勝手に官位をもらって頼朝さんに干されるようなことになった武士の方々が他にもおられたと言われています。こうした出来事を経て義経さんが頼朝さんと面会することは出来なくなってしまいました。

 

暗殺、討伐

 

義経さんに対する疑念を強めた頼朝さんは義経さんに対し暗殺の企てをはかるようなこともしてしまうようになります。後に源氏勢力の指導者の座を奪われてしまうという危機感が頼朝さんにあったからなのでしょうか。命を狙われた義経さんは後白河法皇から頼朝さん討伐のための命令を引き出し、とうとう頼朝さんと義経さんは敵対する関係になってしまいます。法皇から頼朝さん討伐の命令が出たものの義経さんに味方する武士は少なく、義経さんは追い詰められ東北地方に逃げ込むことが出来たものの奥州藤原氏の後継者に襲撃され自害してしまうことになりました。敵対関係になった後、頼朝さんが義経さんに対し救いの手を差し伸ばしたような話も特に無いようです。

 

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今回は源頼朝さんと源義経さんの関係について一部取りあげました。頼朝さんが鎌倉幕府を開いて政治を本格的におこなう前の時期の出来事を記事にしようと思ったのですが、やはり義経さんは有名人ですし頼朝さんとの関係についての一般的な関心も強いようなので今回はこのようなテーマの記事にしてみました。敵対せずに義経さんが頼朝さんを補佐するような良好な関係が築けなかったのは話として残念な気もします。スタンドプレーが多く一緒に仕事をする立場の人に冷たい目で見られてしまい悪い評判が指導者に伝わってしまうという構図はなかなか厳しいですね。才能に恵まれた人はこういったことになる場合も多いのでしょうか。今回の記事を作っていて義経さんという人があまり周りの人の考えを気にしない、周りが見えない人なのかなという感じもしました。そういった点で義経さんの補佐をする人たちが朝廷から官位をもらわないほうがいいですよ、といった進言をすることが出来ればまた違った展開になっていたのかなぁなどと想像してしまいます。独断の行動は今回のように身を亡ぼしてしまう場合もあるということになりますから気を付けなければなりませんね。自分の判断を過信せず、周囲の人とよく相談するという慎重さが世の中を渡っていくには必要というところでしょうか。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

鎌倉が政権の拠点になった理由について触れている話「鎌倉が幕府を開く場所とされた理由は何なのでしょう」はこちらです。

足利尊氏さんと後醍醐天皇の関係について触れている話「足利尊氏さんと後醍醐天皇はどんな関係だったのでしょう」はこちらです。

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