征夷大将軍が戦った蝦夷とはどんな存在だったのでしょう
征夷大将軍が倒すよう指示された蝦夷(えみし)とは
源頼朝さんや足利尊氏さん、徳川家康さんなど歴史上の有名人が就任したことで有名な征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)というのは日本の朝廷が設けていた役職ですが、文書で確認できる中で最初にこの役職の名前が登場するのは延暦十三年、西暦794年のことだったそうです。最初にこの名前の役職を担当したことで記録されているのは大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)さんという方だったそうです(坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろさんではありませんでした)。この役職の名前、征夷大将軍。大将軍というのはすごい将軍くらいの意味なのかなと推測することも出来るように思いますが、征夷(せいい)というのは蝦夷(えみし)を征伐(せいばつ)するという意味なのだそうで具体的な任務が意味されていた役職名でした。ここで出てくる「蝦夷えみし」ですが一体どのような存在だったのでしょう。当時の朝廷から見て日本の東方で生活を営んでいる朝廷に服従しない勢力といった意味で用いられていた呼び名だったという指摘が多いようです。
スポンサーリンク
蝦夷(えみし)
近畿地方に当時の日本の政府中央、朝廷は存在していました。朝廷から見てどこの地域で生活していた勢力が蝦夷と呼ばれていたのかについては東北地方で暮らしていた人々といった意見もあるようですが、東北だけではなく、関東地方で生活していた朝廷に服従しない勢力についてもそう呼んでいたという見方もあるようです。いずれにしても日本の東部で生活する朝廷に従わない人々のことを指して使っていた呼び名でした。朝廷が国内での支配領域を拡大するにしたがってそういった東部の蝦夷の人々との対立が強まり軍事衝突することになりますが、蝦夷の方々はかなり強かったそうで朝廷の派遣する軍勢が撃退されてしまうようなこともありました。生活習慣や言葉が朝廷の支配している地域のそれとは異なっていたという見方もあるようです。実際征夷大将軍として坂上田村麻呂さんが蝦夷勢力と戦った時の相手の指導者は漢字で阿弖流為と表記しますがアテルイさんと読むそうで、普通の昔の日本のかたの名前とはやはり違っていますよね。西暦700年代から朝廷と蝦夷の人々との対立は起こりましたが、西暦800年代初頭に坂上田村麻呂さんが活躍した以降は朝廷も積極的な蝦夷制圧政策はとらなくなり蝦夷勢力も朝廷が支配する地域の人々に同化していったと言われているようです。
スポンサーリンク
「えぞ」とは
蝦夷をえみしと読むこともありますが「えぞ」と読むこともあります。これについてはえみしと本来同じような意味で使われていた言葉だったようですが、その後江戸時代の頃になりますと蝦夷「えぞ」はアイヌの方々を意味する表現として使われることが多くなったようで、アイヌの人々が大勢生活を営んでいた今の北海道にあたる土地のことを蝦夷地(えぞち)と呼ぶようにもなっていきます。えみしという表現がアイヌの人々のことを意味していたかどうかについては意見が分かれるようで必ずしも、えみしがイコール日本人と異なる民族、アイヌの人々だったと決めつけられるものでもないようです。
スポンサーリンク
今回は古代の日本で朝廷と軍事的に衝突したと言われている蝦夷えみしと呼ばれる勢力について一部取りあげました。奈良時代、平安時代に朝廷が支配領域を拡大しようとして東北地域を舞台に戦いが繰り広げられました、という話は社会や歴史の授業でも教わったような気もしますが、今まで蝦夷という存在についてあまりはっきりした印象を持っていなかったこともあり、確認のためこのようなテーマの記事を作ってみようと思った次第です。異民族だったといった明らかな証拠があるというわけでもないようなので現在においてもよくわからんと、東部で生活していた朝廷の支配している地域とは文化の異なる朝廷に従おうとしなかった人々ということくらいしか言えない話なのだということを今回知って、えみしについてぼんやりしたイメージしか残らないのも仕方ないことなのかなという気がしました。朝廷による東北での軍事行動は蝦夷の方々の奮闘のせいか、なかなかの負担だったようでその政策の実施にかかるお金の額が馬鹿にならず、税を徴収される民衆にとっても負担となることから、複数の意見があったようですが桓武天皇(かんむてんのう)の判断で西暦800年代に入ってそれ程経たない時期に中止されることとなったと言われています。この政策判断については地域の治安が悪くなってしまう原因となったという指摘があるようです。
今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。 <(_ _)>
※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。
将軍となった頼朝さんが鎌倉に幕府を開いた理由について触れている話「鎌倉が幕府を開く場所とされた理由は何なのでしょう」はこちらです。
秀吉さんの政権が幕府と呼ばれないことについて触れている話「豊臣秀吉さんの政権を幕府と呼ばないのはなぜなのでしょう」はこちらです。
最近のコメント