大正天皇の崩御と昭和天皇の即位。摂政という役職についても

大正天皇の崩御

 

大正天皇は西暦1926年、大正15年12月25日に崩御(ほうぎょ)、お亡くなりになりました。大正天皇が天皇の立場に即位されたのは1912年、明治45年7月でしたので14年という在位期間になります。短い在位期間と言えるでしょう。実は大正天皇は明治天皇のお子様として最初に生まれた男子ではなく、三番目の皇子でした。第一皇子、第二皇子が薨去(こうきょ)、お亡くなりになったという事実があり大正天皇が皇太子の立場となられています。大正天皇は生誕後、間もなく髄膜炎と疑われる病気を患うなど病弱の印象が強い方だったという指摘もありますが、1900年、明治33年に御結婚され後の貞明皇后との間に4人の皇子が誕生されています。大正天皇は側室を持たれることはありませんでした。そのような中4人もの皇子に恵まれたのは大変めでたいことでした。

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平民宰相として知られる原敬さんは日記の中で当時天皇に即位される以前の大正天皇の御元気な様子を書いていたそうです。明治天皇が1912年、明治45年に亡くなりこの年に大正天皇が天皇に即位されますが、即位以降体調を崩すことになっていきました。お生まれになった時患った髄膜炎の影響で天皇としての公務が相当負担となっていったようです。公務を休まざるを得ないことが増え1921年、大正10年に当時皇太子であった裕仁(ひろひと)親王が摂政(せっしょう)の立場につかれることとなりました。1925年、大正14年には脳虚血発作が出現するようになり、発作の出現に加えて通常の生活動作も困難となっていき、食べ物を飲み込む機能も低下していったそうです。その後うまく飲み込めないことなどが影響したのでしょうか、肺炎を患い1926年、大正15年の12月25日に薨去されました。

 

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摂政とは

 

摂政(せっしょう)というのは天皇の代理、代わりとして公務を行う立場のことで初めてこの立場に就任したのは593年の聖徳太子だったそうです。推古天皇の摂政でした。我が国の現在の憲法、日本国憲法にも摂政の仕組みが定められています。日本国憲法第五条の中に「摂政は天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。」とあります。大正時代の日本の憲法は大日本帝国憲法でしたが、その中では第十七条に「摂政ハ天皇ノ名二於テ大権ヲ行フ」とあります。摂政は天皇が幼い年齢であったり病気を患っていたり、不在であったり、女性の天皇であることといった理由で天皇としての務めがはたせない場合に代理を務めることになります。現在の仕組みでは皇室会議という会議が行われ、そこでどの方に摂政を務めてもらうことにするか相談され決められることになっています。

 

昭和天皇の即位

 

大正天皇の薨去により皇太子であった裕仁親王が天皇に即位されました。天皇在位期間は大正天皇が薨去された当日からということになり、1926年、大正15年、昭和元年12月25日からということになります。関東大震災の翌年である大正13年に良子(ながこ)女王と御結婚され、大正14年に長女である照宮成子内親王(てるのみやしげこないしんのう)がお生まれになっていました。大正10年以来摂政を務められていた以外にも即位以前には陸海軍の大佐に昇進した状態で大正8年以降は皇族議員としての立場でもありました。昭和天皇は天皇即位以前から通常の皇太子の立場に比べ重責を担う状況でした。

 

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今回は大正天皇の崩御について取りあげました。大正天皇が薨去されることで大正時代が終了となるわけですし、日本国は皇室制度の国ですから、若槻礼次郎内閣当時の金融恐慌の話に触れる前に立ち止まって大正天皇についての記事を作ってみようと思いました。大正時代の日本は第一次世界大戦の後の戦後恐慌や関東大震災という大変規模の大きい災害にも遭ってはいますが大正デモクラシーのような一般国民の声を政治に反映させようという気運の盛り上がりもあった暗いことばかりではない時代であったように個人的には感じています。この後昭和の大戦争がひかえているからそう感じるのかもしれません。ただロシア帝国、ドイツ帝国など大国の君主制度が無くなってしまい、社会主義の台頭もあって皇室制度を守り抜くという点では厳しくなっていく時代でもあります。ご生誕時に発症した御病気と闘いながらそのような時期の日本を天皇として過ごされた大正天皇の御負担というのは相当大きなものだったのだろうという気がします。いざという時のための摂政制度についても今回改めて確認してみました。平安時代の摂関政治の印象が摂政については個人的に一番強いのですが、この仕組み(摂政制度)は皇室制度の維持にとって欠かせないものなのでしょうね。現在の天皇陛下が年齢を理由に天皇の立場を皇太子殿下に譲るということに今後なりそうですが、摂政制度の活用はマスコミを見聞きしていてもあまり検討されていないように思います。摂政制度での対応では天皇陛下のご希望に沿えないということなのでしょうかね。

 

今回の記事は以上となります。最後までご覧いただき誠にありがとうございました。  <(_ _)>

※記事内容と掲載している写真に関係はございません。ご了承ください。

後の昭和天皇が危険にさらされてしまった出来事に関連する記事「虎の門事件とは?この事件の影響や難波大助についても」はこちらです。

日本の皇室制度についての議論に関連した記事「女性宮家とは?この問題に関する賛成・反対の立場の意見について」はこちらです。

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